前川健一 著作一覧

アジア雑語林(91)〜(100)

アジア雑語林(100) 2005年3月17日

不審な客

 古本屋で本を探っていると、店主が声をかけてくることがある。「よくある」というわけではないが、いままで何度かある。
「なにをお探しでしょう?」
「専門は何ですか?」
「どういったものを・・・」
 店主はそう声をかけてくるのだ。これが靴屋や洋服屋ならよくあることだが、無愛想がトレードマークの古本屋では、珍しいことだ。だから、私はこう勘ぐるのだ。
<ああ、万引きしそうだと疑われたか!>
 手に紙袋など持っていないし、コソコソした動きなどしていないと思うのだが、どうやら私はあやしい男だと思われるらしい。百歩譲って、店主に悪意はないとしても、不審人物と思われていることはたしかだろう。
 もしかすると、同業者と思われたかもしれない。
 初めて行った古本屋での私の行動は、次のようになる。
 道路から棚をちょっと見て、用がなさそうな本屋なら店には入らない。ただし、それほど性格がはっきりしている本屋は、神田や早稲田あたりに集中しているから、それ以外の地域にある古本屋で、時間があるのに素通りするということは、たぶん、ない。
 古本屋歩きをよくしている人なら、店内を1秒眺めれば、そこがどういう本屋かわかる。漫画と文庫の販売で成り立っている本屋か、小説中心か、学術書も置いているのかといった程度なら、1秒あれば充分だ。
「おもしろそうだ」と思った本屋なら、すべての棚を一応点検する。私好みの本がある棚はなんとなくわかるから、そういう棚はていねいに、コンピューターとかビジネス書などの棚は素通りに近く、ざっと点検する。
 気になる本がある場合、それがすでに知っている本で、買いたいと思えば値段を調べる。知らない本なら、まず内容と奥付けをチェックして、定価を見て、「1500円かな」などと自分の価格を頭に描き、店がつけた値段を見る。それが「1000円」だとしたら、まあ、買っておこうかなどと考えて、再度点検する。
 こういう行動というのが、古本屋ではいたって普通だと思うのだが、店主には普通じゃないと思えるらしい。もしも普通でないとすれば、点検する棚の範囲がやや広いということかもしれないが、小説にはほとんど手を伸ばさないし(それが変だといわれれば、まあそうかもしれないが)、立ち読みもしないので、店内滞在時間はそれほど長くない。
  古本屋がほかの古本屋に行って掘り出し物を探すのを、「せどり」というのだが、私は実際にせどりしている光景を見たことがない。しかし、もしかすると、私の行動がせどりに見えたのだろうか。だから、店主は一応注意を与えたということなのだろうか。
 書店主から見た客ということで思い出すのは、関西資本の書店ブックファーストが渋谷に出店したときに、店長がラジオ番組に出演し、「大阪の客 東京の客」という話をした。関西しか知らないその店長が、東京で驚いたことは次の2点だという。
  花がなくならない・・・開店祝いに花が贈られ、店内に飾ったのだが、東京では閉店時間になっても、花がなくならない。大阪では、客が勝手に花を持っていくのは普通なのだという。そういえば、大阪で開催された「花博」の最終日、おばちゃんたちが展示してある花を持ち帰ろうとして、係員に制止されている映像を見たことがある。「ええやんか。どうせ捨てるんやから!」と、花をわきに抱えた数十人(あるいはもっと多く)のおばちゃんたちが怒鳴ってる光景は、「やはり、大阪は異境」と思わせるものだった。
 店員にきかない・・・・大阪では、店に入ってきたらすぐ「こういう本はどこ?」と店員にたずねる客が少なくないが、東京ではできるだけ自分で探そうとするという違いがある。

 さて、以上のようなことを踏まえて、アジア文庫店主が客について思うところがあれば、800字程度で記せ(と、設問エッセイにしておこう)。

 


アジア雑語林(99) 2005年3月9日

大人の字

 テレビ番組では、フリップという厚紙をよく使う。ニュース番組では、ニュースの内容を図解したものを厚紙に書いて示す。クイズ番組では、出演者がフリップに答えを書く。討論番組でも、出席者にまずそれぞれの意見をかいてもらい、それから討論を始めることもある。
 そういうシーンを見ていると、字が気になってくる。タレントが書く場合はひらがなやカタカナが多い。私だって漢字はあまり書けないのだから、それを非難できないし、間違った漢字のせいで答えも間違ってしまうなら、初めからひらがなで書いたほうがいいと考えるのは、きわめて普通のことだろう。
 だから、私が気になるのはひらがなやカタカナが多いということではなく、字の形である。
 私が子供だったころ、子供は子供の字を書き、大人は大人の字を書いていた。大人の字としてまず思い出すのは、ちょっと(場合によっては「かなり」)くずした字だった。略字もあったし、漢字も多かったから子供にはけっして読みやすい字ではなかったが、はっきりと「大人の字」だとわかる姿だった。1960年代の教師の文字を思い浮かべると、国語の教師は習字のような字を書いていた。それ以外の教師は、当時全盛だったガリ板印刷に向いた角ばった文字を書いていた。活字のように読みやすい文字だった。当然くずしていない文字だったが、それもまた当時の大人の文字だった。
 子供の字というのは、どんなにじょうずでも楷書で、きっちりとした字が書けなかった私は(今もだが)、バランスが崩れたひどくヘタな字しか書けない。中学生くらいになると、大人ぶった字を書き始める者も出てきた。概して、男よりも女のほうが字形に強い関心を抱くように思う。のちの丸文字やヘタウマ文字などを考えてみれば、女のほうが文字の形により強い関心を抱くという私の説は説得力があるだろう。
 さて、フリップの話だ。中高年の学者や評論家などが出演する討論番組に登場したフリップの文字を見て、私は「ああ・・・」とため息をついた。大人の文字を書いている人がひとりもいないのだ。多くは、私のように字のヘタな者が、時間をかけてていねいに書いたような字だった。ひとことでいえば、稚拙である。子供っぽいのである。
 考えてみれば当然で、年齢だけでいえば立派な中年である私も大人の字が書けないのだから、同世代の学者や評論家たちも子供の字しか書けなくても不思議ではない。
  私よりもちょっと年長であるアジア文庫店主の字は、大人の字だ。年に何度か手紙をもらうが、堂々たる大人の手紙である。出版社めこんの社長の字も、昔の教師を思い出させる文字だ。
 私より若い人で、大人の文字を書く人は思い浮かばない。端正な字もあれば、判読に苦労する悪筆もあるが、大人の字を書く人は友人知人のなかにはいない。
 味のある字ということでいえば、旅行人編集長・蔵前仁一氏がピカイチである。彼と手紙のやり取りを始めたころは、私はまだワープロ専用機さえ持っていなかったから、当然手書きの手紙だった。心遣いの人蔵前氏は、手書きの手紙にパソコンで打ってプリントアウトした返事を送るような無作法なことはせず、手書きの手紙をくれた。この文字がいいのだ、漫画家やイラストレーターに多い書体だが、味があっていい。だから、彼の手紙は全部保存してある。
 のちに、旅行人から『アフリカの満月』を出すことになったとき、担当編集者であると同時に装丁者でもある蔵前さんが、著者の私にこう言った。
「装丁について、なにか希望があれば、なんでもおっしゃってください。予算の限界というのはありますが、予算内であれば、できることはなんでもします。著者の意向を無視して、勝手な装丁をすることはありませんから」
 ありがたいお言葉なので、いくつかのアイデアを話し、たったひとつの希望を伝えた。
「カバーの書名は、活字ではなく、蔵前さんの手描き文字にしてください」
 出来上がった本を見ればわかるように、著者のささやかな希望は無視され、活字の書名になっていた。おそらく、「そんな希望を口にするのは、十年早い!」ということなのだろうから、今後精進して立派な本を書かねばならないのだが、そのハードルはとてつもなく高そうだ。

 


アジア雑語林(98) 2005年3月2日

事実と真実

 私はウソがつけない。正直者だからか、それとも小心者だからかわからないが、ウソがつけない。もしウソをついたら、顔の表情が変わり、オドオドとし始めるから、ウソをついているとすぐわかってしまう。
 だから、小説など書けないのだ。そもそも小説をほとんど読まないから、小説の書き方も知らない。作り話の作成技術がわからないのである。
 そういう私だから、いままで書いてきたものはすべて事実であって、作り話はひとつもない。ただ、それが真実なのかというと、自分でもかなり疑問なのだ。
 ある出来事を原稿にしたとする。私が見たり聞いたりしたことを書いたのであって、見もしないことを書いたわけではない。しかし、私の見間違いや聞き間違いということもありえる。過去の旅の話を書けば、記憶違いということだってありえる。私が事実だと認識したことを「事実」として書いたのだが、だからといってそれが「真実」である保障はない。
 このような認識は、おそらく多くのジャーナリストたちと同じだろうし、ノンフィクション作家たちもほとんど私と同意見だろう。しかし、この「事実」の部分を大きく逸脱した認識をしている書き手も何人かいる。その代表格が沢木耕太郎だ。
 沢木の文章は、その第一作『若き実力者たち』(1973年)が出る以前から、雑誌で読んでいた。以後何年間かは、沢木の本がでればすぐに買って読んでいたのだが、ある表現に気がついてから、まったく読まなくなった。それは、故人の密室での行動が、あたかも覗いたかのように描写されていたからだ。
 沢木は、ラジオ番組で「事実」についてこう語っていた。
 事実というのは、誰も「それは事実ではない」と否定できないことすべてが、事実なんです。事実として書いていいのです。例えば、ペリーの乗った黒船が日本に来たのが1513年だと書いてはいけない。歴史的事実ではないからです。しかし、例えば坂本龍馬がひとりでいるときに、どんな動きをし、どんなことを考えたかは自由に書いてもいい。だって、「そんな行動はしなかった」と誰も否定できないでしょ。
 沢木が坂本龍馬を例に挙げたかどうか記憶が定かではないが、誰を例に挙げても同じことだ。『深夜特急』は自分の旅を書いているのだから、沢木の法則に従えば、交通などごくわずかなこと以外、なんでも自由に書いていいというわけだ。彼の行動を、「あんた、そんなことをしなかったでしょ」と否定できる人物はほとんどいない。沢木にとっては、自分の行動をそのまま書くというのは重要なことではなく、なにかの目的のためには、読者には事実と感じさせる虚構を盛り込んでも、「ノンフィクション」として成立すると考えているようだ。
 沢木のこの文章作法を否定する気はない。それぞれの作家にそれぞれのスタイルがあるわけで、沢木の文章には虚構が多いと認識していればいい。ただし、肌に合うかどうかといえば、合わない。だから、彼の本を読まなくなったのだ。『深夜特急』にしても、原稿を書かなくてはいけなくなって読んだのであって、そういう機会でもなければたぶん一生読まないで過ごしただろう。
 旅行記の感想をインターネットで読むと、「この人が書くことにウソが多い」といった批判がときどき見受けるが、これにはいくつもの理由がある。
・ ウソというのが、「間違いがある」という意味で批判している場合。例えば、タイの首都はアユタヤだ、と書いているような場合だ。
・ 作者の文章は作り事だろうと疑っている場合。これには、作者が本当に作っている場合と、事実を書いているのだが、その読者には事実とは思えない場合がある。例えばハワイしか知らない人にとって、インド旅行で出会う事実を書くと、みんな作り話に思えるかもしれない。

 


アジア雑語林(97) 2005年2月23日

まぼろしの烏龍茶

 中国茶を初めて飲んだのは、たぶん小学一年生のときに行った横浜中華街の料理屋だろうと思うが、どんなお茶だったのかまったく覚えていない。覚えていないということは、ひどく苦いとか、たまらなく臭かったという記憶もないということで、ジャスミン茶やプーアール茶ではなかったのだろう。中華街の店だったが、日本間の個室で食事した。料理は、巻き揚げしか覚えていない。巻き揚げというのは、湯葉かブタの網油でブタ肉やタケノコを巻いて、油で揚げたものだ。春巻きは、小麦粉のあの皮が好きではないので食べないが、この巻き揚げは大好きだ。
 次に中国茶を飲んだのがいつなのか、記憶がはっきりしない。たしかなのは、1973年に初めてタイに行ったときだ。バンコクの中華街の食堂で、あまり味のしないお茶を飲んだ。その後、マレーシアやシンガポールや香港で、中国茶をがぶ飲みしているが、それがどういうお茶だか、まったくわからない。すでに、中国の食文化の本は読んでいたから、中国にはどんなお茶があるのかという知識はあったが、名前と味が結びつかなかった。はっきりいえば、お茶にそれほど興味がなかったのである。
 中国茶との衝撃的な出会い第一弾は、銀座で中国料理のコック見習いになった初日のことだ。午前中、仕込みをやっていると、店の雑用をやってくれるおばさんがお茶をいれてくれる。コップに入ったお茶が、ひどく臭かった。ジャスミン茶だということはわかった。店で客に出しているお茶だ。20年以上前だったら、日本で「中国茶」といえば、ジャスミン茶と決まっていた。それ以外の中国茶を知っている人は、中国通や中国料理通というマニアのような人だけだったと思う。
 臭くてたまらんと思ったジャスミン茶だったが、数日したらなんとも思わなくなった。毎日、中国料理を食べていると、舌も鼻も中国茶を求めたのかもしれない。油を使った料理には、中国茶がよく合う。
 コックをやっていたころ、いっしょに中国語を習っていた友人が台湾に行った。目的のひとつが、うまい中国茶を手に入れることだった。友人は、茶の産地だと教わった地に行き、タクシーの運転手に「最高の烏龍茶が手に入る店に連れて行ってほしい」と言った。
 「それで、手に入れたのがこのお茶だよ。飲んでみようよ」
 帰国したばかりの友人はそう言い、缶から茶葉をひとつまみ取り出し、コップに入れて熱湯を注いだ。すでに烏龍茶は飲んでいたが、私が知っている褐色の葉ではなく、緑色をしていて、茶葉がまるまっていた。
 茶葉はコップのなかでみるみるうちに広がり、豊かな香りを漂わせてきた。透明な薄緑の液体を口に含むと、高価な日本茶にも通じる甘さが感じられた。
「こいつは、すごいね」
 衝撃的な出会い第二弾だった。
「うん、すごい。えらく高かっただけのことはあるな」
「こんなうまい烏龍茶を飲んだのは初めてだ」
「そんなに好きだったら、半分持っていく? これ一缶で1万円ちょっとだから、半分分けてあげようか」
 大きめの缶にはたぶん一斤(600グラム)のお茶が入っている。その半分で5000円。その当時の私の給料は手取りで7万円ほどだから、いくらうまいといっても、お茶に5000円払える余裕はない。
 私が貧しいことを知っている友人は、それ以上勧めず、私も黙ってお茶を飲んでいた。
 台湾のうまい烏龍茶といえば凍頂烏龍茶だ。
 その後、経済的に多少豊かになった私は、台湾でも香港でも日本でも、この凍頂烏龍茶を買い求めたが、あれほどうまいお茶には出会えない。友人もたびたび台湾を訪れ、同じ街に行って同じお茶を探したが、初めて行った日は夕暮れの街をタクシーで走ったので、どこで買ったのかという記憶がはっきりせず、やはり感動の凍頂烏龍茶は手に入れることができずにいる。今でも会えば、「あのときのお茶、うまかったね」という話が必ず出る。
 味覚は錯覚だと思っているから、初めて飲んだ感動で過大評価しているのだろうという気もするし、おそらくそうなのだろうが、「甘露」といえる烏龍茶をまた飲みたいものである。
 日本で烏龍茶がブームになって以来、中国茶といえば烏龍茶だと日本人は思い込んでいるが、烏龍茶というのは中国南方のお茶で、上海や北京の人はそんなお茶を飲んだことはないし、名前も知らないのが普通だった。
 そういう中国茶事情を一変させたのがサントリーだ。上海で缶入り烏龍茶を売り出して普及した。日本の企業が中国で中国茶を売ったわけだ。その宣伝をした中国人がラジオで話していた。まず、烏龍茶とはどういうお茶か知ってもらうことが重要で、その説明に苦労しました、と。

 


アジア雑語林(番外) 2005年2月21日

漢字変換の話(アジア文庫の場合)

アジア文庫 大野信一

 前川さんのご指名とはいえ、漢字変換について話すには、私はふさわしくない。漢字の○○水準とか、○○コード、といったものがまるで分かっていないのだから。
 ここでは、使い勝手のみで書かせてもらうことにする。これまで、ワープロや、いくつかのパソコンを使ってきた。最初に買ったワープロは、80年代の終わりころ、富士通の文豪シリーズの一機種だった。モニターがブラウン管のゴッツイやつで、中国や韓国の人名、地名は、表示できない文字が多かった。それこそ、前川さんの言うように、ケ小平の「ケ」の字が出てこなくて苦労した覚えがある。しかも、漢字の検索にずいぶん時間を割かれていた。漢字のコード表が手放せなかった。一文字入力するのに数分かかることもあった。今のWindowsXPには、手書きの検索機能がついて、入力も含めて、ずいぶん使い勝手がよくなった。
 とはいえ、今でも、例えば、香港の北にある中国の「深せん(しんせん)」の「せん」の字は、土へんに、つくりが川の、一見簡単な字のように思えるが、モニター上には表示できても、私のプリンターではプリントすると空欄になる。フォントを買えばクリアできる問題なのだろうが(中国書の専門店であれば必要になってくるが)、そこまでする気もなく、版下を作る時には、つくりとへんを50パーセント縮小して文字を作って済ませている。
 インターネットのブラウザは、ユニコードというのだろうか? Windowsの2000や、XPには標準装備されるようになっているようで、中国語の繁体字でも、簡体字でも、あるいは、タイ文字でも、ハングルでも不自由なく閲覧できるようになった。
 ためしに、「深せん(しんせん)」を、Yahooで検索してみた。日本語Yahooでは、「せん」が、文字化けして正しく検索できないが、中国語の簡体字Yahooでは、正しく検索できた。少なくとも、WindowsXPの環境だと、多言語でも、モニター上では表示されるが、これらの文字を入力したり、プリントするためには、そのためのソフトや、フォントを別に購入しなければならないということだろう。
 中国書専門店の東方書店のホームページは、ユニコードを前提に、日本語、繁体字、簡体字の混在したホームページを作っている。同じ中国書専門店の内山書店のホームページは、まだユニコードが普及してないと考えているようで、PDF形式を採用している。この場合、その都度専用のソフトが立ち上がるのを待たなければならなくて、閲覧するのに、はなはだ使い勝手が悪い。テキスト形式にしたほうがいいのじゃないの、と知り合いの社員に言ったことはあるのだが、まだそのままのようだ。

 


アジア雑語林(96) 2005年2月13日

漢字変換の話

 原稿を手書きからワープロに変えたとき、友人たちからいくつかの経験談をきいた。
 「注意しないと、やたらに漢字の多い文章になってしまうよ」
 どういうワープロソフトを使うかにもよるが、変換の好きなソフトだと漢字が多くなるのはたしかだ。手書き時代には誰も書けなかった「顰蹙」とか「急遽」などといった漢字や、書けることが自慢のように思われていた「颯爽」「憂鬱」などという漢字を目にする機会が急に増えたように思う。ただ、逆に漢字で書きたいのに変換できない字というのも少なくない。手書きならすぐ書けるのに、ワープロだとその漢字を探したり、手書き入力をしたりと、無駄な時間がかかることもある。
 戦前に出版された文献からの引用だと、漢字は当然旧字体だから、正しく引用しようとすると、数行の引用でもとんでもない時間がかかる。手書きの方がよっぽど楽なのだ。
 「ワープロを使うようになると、漢字を忘れるよ。手書きができなくなる」
 これはてきめんだった。もともと私は、漢字を読む能力に関しては日本人の平均よりは少々上だったかもしれないが、書く能力は日本人の平均点を下回っていると思う。だから、原稿を書くときに辞書が手放せなかったのだ。ワープロを使うようになっていちいち辞書をひかなくてもいいというのはたしかに楽なのだが、その結果ますます漢字が書けなくなった。それはもう、ひどいものだ。
 程度の差はあれ、ワープロ(パソコン)を日常的に使っている人は、漢字を正しく書けなくなっているのではないだろうか。無知無教養だと批判されている大学生の場合は、小学生時代からノートをとる習慣があるから、誤字脱字があっても手書きには慣れているだろうが、入社10年というような若いサラリーマンだと、どういう内容であれ手書きの文章を書くことはもうほとんどないだろう。
 とすると、もし筆記試験を受けるとなったら、ひらがなだらけの文章になるだろう。自分がもしその立場だったらと思うと冷や汗が出る。間違った漢字を書くのも恥だが、「まちがったかんじを書くにもはじだ」というように、ひらがなばかりの文章も恥ずかしい。
 ワープロが登場したとき、「これで、誤字ばかりの原稿は減りますね」と編集者にいうと、「漢字をしらないヤツが書いた原稿は、やっぱり誤字だらけだよ」といっていた。つまり、変換ミスが多いということだ。私は職業柄注意はしているのだが、「旅行者」と「旅行社」のように、同じ音の語がしょちゅう出てくると、変換ミスをそのままにしてしまうこともある。
 読者として、パソコン上の文章を読んでいる経験からいえば、しばしば目にする漢字変換ミスは「以前」と「依然」、「依頼」と「以来」、「以外」と「意外」がワースト3だと思う。あまりにも多いので、これらは変換ミスではなく、それぞれの語の意味の違いがわからないのではないかと、疑いたくなる。「以上」と「異常」の混同は少ないので、これらワースト3は意味の違いがわかっていない可能性もある。
 そんなことを考えていたときに、ふと疑問に思ったのは、漢字しかない中国語の場合だ。中国人は、漢字を忘れたからといってひらがなで書くわけにはいかない。そういう場合、同じ音の漢字を当てることは知っているが、おびただしい数の漢字を忘れてしまった人が書く文章は、もはや判読不能だろう。日本語の場合、ひらがなが多い文章は読みにくいが、文意は読み取れる。
 中国語とパソコンの関係に疑問を持っていたので、中国を専門とする日本人ジャーナリストに、漢字変換の話をきいた。
「このまえ、ニーハオを漢字で打ちたかったのですが、ニーという漢字がパソコン画面で出てこない。この程度の漢字も出てこないんですから、中国に関する原稿を書くのは大変じゃないですか」
「ええ、大変です。固有名詞には、日本ではほとんど使わない漢字も少なくないですし、簡略体はないから作字するしかないんだけど、そうするとメールで送ると文字化けする。だから、原稿はファックスか郵送になってしまうんです。校正も注意してちゃんとやらないといけないし、大変ですよ」
 アジア文庫でも数が少ないとはいえ、中国を扱った本があって、この点では苦労している。その代表格は、ケ小平。わがパソコンはおりこうさんだから、この「ケ」が一発で変換されるが、ケ小平存命中には、この姓は手書きにするしかなかった。いまの日本で、漢字変換にもっとも苦労させられるのは、「草なぎ剛」だろう。
 
 ☆パソコンと中国語漢字変換の話は、アジア文庫店主が当事者として苦労しているので、大家さんの内山書店の事情も取材して、詳しく報告してくれる予定である。乞うご期待。

 


アジア雑語林(95) 2005年2月4日

皮肉なことに

 海外旅行というのは、異文化理解に多大な貢献をするはずだと、なんとなく思っていた。日本人が外国の地を訪れ、例え団体旅行であっても、写真やテレビではない実際の風景を目にし、街の音を聞き、そのなかで食事をしていれば、井の中の蛙時代とは違って、異文化が多少なりともわかり、そのなかから異文化をもっと深く知りたいと思う人が出てきて、研究者や翻訳者や市井の好事家などが生まれていくものだと思っていた。
 ところが、どうも違うらしい。
 例えば、タイだ、1970年代末から80年代にタイを訪問した日本人は、年間20万人をちょっと超えるくらいだった。なぜこの時代を例にあげたかというと、井村文化事業社が、東南アジア文学を翻訳して次々に出版したころだからだ。タイ文学の翻訳がどれもよく売れたとはいえないが、何冊かは増刷された。
 現在、タイを訪れる日本人は年間100万人を超えているが、訪問する日本人が増えるにつれて、この手の本が売れたということはない。バリ島の名を知る日本人は少なく、サムイ島は一般的にはまだまったくの無名で、日本にタイ料理店は数軒しかなかった時代のほうが、翻訳文学や軽めの研究書やジャーナリストのエッセイなどが売れたのである。もしもいま、大出版社が「アジア文学大全集」を発刊し、大々的に宣伝したとしても、ほとんど売れないだろう。
 旅行者が多くなるほど、堅めの本が売れなくなるという現実を、どう考えたらいいのだろう。
「そりゃ、本自体が売れなくなったからだよ」という人は多い。たしかに本は売れなくなった。しかし、タイへの訪問者はこの20年で5倍以上に増えているのだ。それなのに、タイに関する本の読者が減っている事実をどう考えればいいのだろうか。旅行情報なら、活字媒体よりもインターネット情報を利用するから本や雑誌が売れないというのはわかる。しかし、文化や歴史の情報は、やはり本を読むしかない。だから、単純に本を読む人が少なくなったというだけのことではないはずだ。
 実は、これはタイだけの話ではなく、ほかの国でも同じ状況らしい。ガイドブック類と語学教科書だけは売れているが、それ以外の本はまるで売れない。
 なぜ、こうなったのか。その背景はこういうことだろう。
 まず、訪問先がバリやサムイ島やプーケット島などに代表されるように、リゾート地が多くなったことだ。リゾート地で過ごす人は、それがどこであれ、その国の文化などに興味を持たないものだ。もうひとつの理由は、旅行が内行的になったことだろう。旅行だから、体は外に向かって出て行くのだが、心は自分の中心に向かっている。わかりやすく言えば、「自分探し」などと称するものであったり、買い物やエステの旅というものは、旅行地そのものには関心が向かないということだ。
 だから、どんなに旅行者が増えようと、バリがどこの国にあるのかわからないとか、ベトナムでは雑貨しか見ていないということになる。そうなれば、その国の歴史や文化などどうでもいい。バリやベトナムの宗教がどんなものでも、買い物には関係ないし、
その国の人がどういう生活をしてようが、関係ない。
 私のこの仮説が正しければ、海外旅行が異文化理解につながるというのは空論でしかないことになる。年間1600万人の日本人が外国に出かけていながら、たえず「国際交流」や「異文化理解」の必要性が叫ばれている理由はそこにある。

 


アジア雑語林(94) 2005年1月27日

インドと古本屋

 インドではいくつものカルチャーショックを受けたが、物の値段が決まっていないという習慣には当初とまどった。値段が決まっていないというのは、定価というものがなく、正札がついていないということだ。
 たとえば、布を買おうとする。
「これ、いくら?」と聞くと、
「あんたの値段は?」とか「いくら払うか?」と聞いてくる。値段を聞いて、すぐさま値段を伝える文化ではないのだ。だから、交渉に時間がかかる。インド人に50ルピーで売ったのと同じ商品を500ルピーで買わされたからといって、「インド人は汚い」などと文句をいってはいけない。500ルピーの価値があると思ったから買ったのであり、それがもし粗悪品だと気がつかなかったとしたら、不注意で不勉強で交渉力がない消費者に責任があるという考え方だ。
 ようするに。これは骨董品の価値と同じだ。日本の骨董品店で1枚2万円の値段がついている皿が気に入って買ったら、100円ショップで売っている皿と同じものだったとする。これはひどい話か。その皿に2万円の価値ありと判断したのは自分なのだから、文句があるなら自分の不勉強に対して言えばいい。あるいは、その皿が100円ショップのものではなく、明治時代のもので、ほかの店では2000円程度で売っているものだとしても、2万円の価値ありと判断したのは自分なのだから、全責任は自分にある。高いと思えば、店主がどんなに勧めても買わなければいいのだから。2万円なら支払ってもいいと思ったなら、それでいいのだ。
 インドの商売は、近代的な消費者保護の考え方には反しているものだろうが、消費者も賢くならねばいけないという意味では、けっして悪い習慣だとは思えない。これが薬品などではまずいと思うが、野菜や布などなら、消費者も勉強して、自分の判断基準を持てばいいのだ。化学繊維と絹の区別もつかないなら、絹を買う資格はないと思えばいい。
 先日、インターネットで古本をチェックしていて、インドを思い出した。
 ある本を検索したら、最低500円、最高2500円の値段がついていた。「ある本」と書いたが、書名をとくに隠しているわけではない。たんに、思い出せないだけだ。その本は、十数年前に出た本で、なかなかおもしろかった。たしか、1500円くらいの定価だったと思う。それが、2500円の値段がついているということは、絶版になったのだろうか。ときどき新刊書店でも見かける本だが、さてと、と版元や大書店の情報を調べてみると、まだ販売していることがわかった。いまも1500円の定価で売っている本に、なぜ2500円の値段をつけたのか。その本の出品者は書店ではなく個人で、おそらくその本が大好きだったのだろう。そして、もう10年以上前に出た本なら、たぶん絶版になっているに違いないと思い込んだのだろう。その人の価値判断では、2500円は正当だと思ったのだ、きっと。
 古本というのも、値段があってないようなものだ。先日、高田馬場のビックボックスの古本市で『全東洋街道』(藤原新也、集英社、1981年)を見つけた。この本は、神田の古書店のカタログで1万円の値段がついていてびっくりした。発売当時の定価は2200円だ。高田馬場でいくらで売っていたかというと、750円。安いが、すでに持っている本を買ってもしょうがないから、買わなかった。帰宅して、ネット古書店でこの『全東洋街道』をチェックしたら、そこでも1万円だったから、相場が暴落したわけではないらしい。私は売るために本を買うわけではないので、読まない本は買わない。だから、「買っておけばよかった」などと後悔はしない。
 古本屋の値段というのは、そのくらいの違いはあるものだ。神田を歩いていても、版元が倒産したせいで、その出版社の本を定価の2割ほどで平積みしている店もあれば、きちんと棚にさして定価の3割引きで売っている店もある。いくらで買うかは、買い手ての判断で決めればいいことで、つまらない本はいくら安くても買わないし、どうしても欲しいという本なら、見つけてすぐ買うのも、間違った行動とはいえない。
 定価3000円の本を1500円で売るというなら、半額だとわかるが、戦前に出版された本だと定価の何割引きかなどまったく意味がない。社史や研究所の刊行物など、そもそも定価などついていない本なら、店がつけた値段を安いか高いか判断するのは、自分の価値判断しかない。そういう値付けの行為を、私はどうやら新刊書でもやっているらしい。本屋で気になる本を棚から取り出して、内容をチェックして、そのあと値段を見る前に、頭の中で「これなら、1600円かな」などと値段をつけている。つまり、その値段なら買ってもいいかなという基準価格だ。この基準から大きく外れていなければ、レジに進むことになる。
 ただし、私はまだ修業が足りないから、安さについ誘われて手を出してしまうことがある。8400円の本が2000円なら、つい手が出てしまう。それで、だいたい読まない。あとになって、どうしても読みたい2000円の本を買えばよかったと、後悔するのである。

 


アジア雑語林(93) 2005年1月18日

傍流のおもしろさ

 私は酒はいっさい飲まないが、口に入れるもの全般には興味があるから、酒の本も一応目を通していたこともあるが、どうも趣味にあわない。世界の食べ物の本なら、屋台の料理も市場の立ち食いも取り上げるが、こと酒となると、格好をつけて、権威が前面に出てくる。「ボルドーがどうした」「スコッチの伝統が…」といった話がいつまでも続く。
 食文化を研究している人なら、どこの料理がうまいといった話はあまりしない。自分にとってその料理、あの料理店の味がどうかというより、その土地の文化の中で、どういう食文化が営まれているかを知ることが重要だからだ。
 ところが、それが酒の話になると、とたんにワインのウンチクが始まったり、どの清酒が、あの焼酎が、といった話になる。私が読みたいと思う酒の話は、「うまい」か「まずい」の話ではなく、ある地域での酒と文化の話だ。だから、ラベルがはってある酒に限定する必要はない。ラベルもなく、ビンにも入っていない酒がその土地で一般的ならその話を書いてくれればいい。
 深山分け入って、少数民族が暮らす小さな村で、まだ誰も文章にしたことがない密造酒のルポを書けと言っているのではない。そんな苦労しなくても、たとえば、バンコクで、たとえばバリで見かける酒でいいのだ。タイの酒といえば、いつまでたっても、メコンなどの米ウイスキーとビールのことばかりとりあげ、それ以上調査しようとする人はきわめて少ない。「バンコクで容易に入手できる酒を全部飲んでやろう」などという酒飲みライターはまだいないようだ。
 酒と同じ事情にあるのが、自動車だ。例えば「世界の自動車」などという本を見れば、日本の車のほかに、メルセデスやプジョーなどおなじみのメーカーの車種は紹介されるが、ロシアの車も中国で生産されている車も登場しない。
 ジャカルタで初めてキジャンを見たときはびっくりした。
 初めは、「なんだ、あの車は!」と思った。次に、その車の名前がキジャンだと言うことを知った。聞いたことがない車種だ。
 それがどんな車かというと、子供がボール紙で作ったような車だ。丸みがまったくない車だ。「四角い車」とか「角ばった車」と表現される車はあるが、そういう車だって、よく見れば曲線はある。ところが、このキジャンは、平らな鉄板を上下左右に貼り付けたスタイルをしている。「これは、ロシアか中国の軍用車じゃないか」と思った。色が軍用車によくある緑色だったせいでもある。
「あれは、トヨタの車だよ」と友人が言った。
 まさか、トヨタがこんな車を作るかよと思ったが、点検してみると、TOYOTAという文字が見える。それが何年製のキジャンかはわからないが、初代のキジャンはまるで軍用車だった。のちに、第二世代がうまれて、日本でもよく見かける3列シートのワンボックスカーに姿を変えている。
 このキジャンのように、日本人のほとんどが知らない日系メーカーの車は、世界各地にある。同じように、ドイツ系、フランス系の現地生産車もある。もちろん、民族資本の自動車メーカーもある。
 自動車ファンとか自動車評論家といった人は、台湾をどんな車が走っているのか、まったく興味がないらしい。台湾で生産している車はメルセデスのような完成度はないだろうし、フェラーリのようなスピードもでない。しかし、台湾にも自動車の文化はある。それを伝えたいとは思わないのか。知りたいとは思わないのか。
 自動車を性能と権威でしかとらえられない人の不幸は、酒の場合と同じだ。「うまい」と「高い」しか語彙のない、自主性のない酒愛好者たち。好奇心のないマニアたち。鉄道ファンなら、もう少し広い視野を持っているのだが。

 


アジア雑語林(92) 2005年1月8日

平凡出版と東南アジア

 『証言構成「ポパイ」の時代 ある雑誌の奇妙な航海』(赤田祐一、太田出版、2002年)は、1970年代から80年代に出版文化を知る上で、貴重な資料が詰まっているというだけでなく、読み物としてもよくできている。
 この本を読んでいて、「へえ、そうだったのか」とびっくりする事実は数多くあったが、なかでも読売新聞社が出したムック「メイド・イン・USAカタログ」(1975年)に関する事実は、私にとって驚愕といえるものだった。
 もう何年も、日本人の異国憧憬の歴史を追っている。日本人のアメリカ礼賛の歴史には、カリフォルニアブームを創作した「ポパイ」という雑誌が深く関与していることは体験的にもわかっていた。「モノが命」という物質文明礼賛の始まりもこの雑誌だった。しかし、「ポパイ」の創刊は1976年8月だから、その1年前に出版された「メイド・イン・・・」の方が元祖ということになる。
 私は、もともとアメリカへの関心はかなり薄く、この「メイド・イン・・・」も古本屋で何度も見かけているという程度の知識しかなかったが、異国憧憬の歴史を追ううちにこのムックが気になっていた。
 雑誌「ポパイ」創刊の前史は、「アンアン」の編集者・木滑良久が、一種の派閥争いに破れ、みずから望んで関連会社に移動してしまうところから始まる。木滑を追って、「平凡パンチ」の編集者・石川次郎も、同じ会社に移動してきた。事実上の退職である。おもしろい雑誌を作りたくても作れない欲求不満をかかえていたふたりは、いくつものコネを使って他社からムックを出す。それが「メイド・イン・・・」である。このムックが大変な人気を集めたため、平凡出版に呼び戻されて創刊したのが、「ポパイ」だったというわけだ。
 だから、「ポパイ」と「メイド・イン・・・」の間に、なんらかの関係があるだろうと踏んだ私の勘は正しかったのだが、まさか同じ編集者の仕事とは思わなかった。
 『ポパイの時代』がおもしろかったので、『平凡パンチ1964』(赤木洋一、平凡社新書、2004年)もすぐに買った。こちらは「ポパイ」の前の時代の平凡出版を描いていておもしろいのだが、新書だから内容的には薄く物足りなかった。そこで、かねてから気になっていた本を古本屋のサイトで探してみようと思った。
 その本は、平凡出版の創業メンバーのひとりで、編集者で社長もやった人物が書いた『二人で一人の物語 マガジンハウスの雑誌づくり』(清水達夫、出版ニュース社、1985年)だ。さっそく取り寄せて読んだ。意欲作ではあるが、時間軸を混乱させたため失敗作になった。創刊当時の話はおもしろい。
 じつはこの本をインターネットの古本サイトで探していたときに、あらたなる疑問が生まれた。著者名である「清水達夫」で検索すると、『二人で・・・』以外に、こんな本が登場した。
 『失われた大陸 東南アジア探検記録』(清水達夫編、平凡出版、1956年)。売価は2000円と2500円の2冊。
 版元が平凡出版だから、この清水達夫はその出版社の編集者だろう。しかし、平凡出版でも、のちのマガジンハウスでも、東南アジアとの関連が見えてこない。パリやローマの本なら出したかもしれない。1956年の出版ということを考えれば、戦争と関連する東南アジアという線も考えられる。戦争が終わってまだ11年しかたっていないのだから・・・、とも思ったが「探検」の語が引っかかる。
 というわけで、気にはなっていたが、正体がまるでわからない本に2000円も出す余裕はないので、それっきりにしていた。
 それから一カ月ほどたって、「なにかおもしろい本はないかなあ」と古本サイトをチェックしていたら、あの本が500円で売りに出ていた。「よし!」とクリックして「レジへ」。
 その本がきょう届いて、謎が解けた。『失われた大陸』というこの本は、同名のイタリアの長編記録映画の写真集だった。映画フィルムを写真にして印刷した本だった。定価は380円だが、当時の労働者の日給くらいする高い本だ。奥付けを見てみると、驚くほど売れたことがわかる。56年5月1日の発売で、5月15日には二刷り、9月10日に三刷り、57年3月には四刷りになっている。それ以後も増し刷りしたかどうかわからないが、けっして万人向けの実用書でもなく、安くもない本なのに驚異の売れ行きだ。巻末には、同年5月に発売予定の『カラコルム』の広告が出ている。これは本多勝一も参加した京都大学カラコルム・ヒンズークシ学術探検隊(1955年)の記録映画の書籍版だ。こういう出版物をみると、当時の「異国憧憬」の気運がよくわかる。
 『失われた大陸』の内容は、悪名高いヤコペッティーの「世界残酷物語」ほどひどくはないのだろうが、西洋人のエキゾティズムを刺激する「南国の楽園」を演出している。我が家の書棚には戦前から戦後まもない時代に出版されたこの手の本が何冊かあるが、どの写真にも資料的価値はない。タイの寺院と僧侶、バリの踊り子といった写真は、いま撮影しても同じ構図の同じ写真になるだろう。街の写真や普段の人々の写真があれば、当時のようすがよくわかるのに、残念なことだ。素人であれプロの写真家であれ、のちのち資料として価値ある写真を残しておきたかったら、街を撮れ、人を撮れといいたい。普通の生活こそ、じつは変わりやすい姿なのだ。
 なぜ、こういう本を出版したのかはわからない。当時の「平凡」は芸能界に近かったので、映画界との交流からこの本の出版が決まったのかもしれないと想像するしかない。
 以上のことがわかったのが、本代500円の価値である。2000円も出さないで、よかった。

 


アジア雑語林(91) 2004年12月27日

好きなもの、やりたいこと

 噂に聞いていたとおりの若者に会った。
 喫茶店のテーブルをはさんで、大学生が語り始めた。
 「ぼく、自分が好きなことはなにか、よくわからないんです。だから、将来なにをやりたいのかわからないんです。考えてみれば、中学のときも、高校のときも、そして今も、なんでも友達のマネをしてきたような気がするんです。クラブ活動も、服装も聞く音楽も、よく見るテレビ番組も、仲のいい友達が話題にしているのをそのままマネしていたような気がするんです。
 来月、タイに行こうかなと考えたのも、友達に誘われたからで、自分ではタイなんてまったく興味がないんです。じゃあ、どこの国に興味があるのかというと、どこの国にも興味はないし、そもそも海外旅行にも興味がないんです」
 好きなことがない。やりたいことがないという若者の存在がよく理解できない。
 20歳ころの私は、読みたい本はいくらでもあったし、行きたい場所もいくらでもあったし、見たい映画も、行きたいコンサートも、買いたいレコードも、いくらでもあった。自由になる時間もいくらでもあったが、自由になるカネはいくらもなかった。
 だから、私は孤独だったのだ。
 「自分が好きなことがわからない」という大学生を、「これだから、いまの若者はしょうがない」などと嘆く気はない。昔の若者だって大多数は同じだったのだ。だから、私のようにやりたいことがたくさんあって、その資金作りのために働き、そして日本を出て行くような生活をしていれば、仲間とつるんでぐだぐだグチを言い合うヒマなどなく、いつも孤独だった。
 いつの時代も、普通の生活をしていく人は、人生の大きく明確な目標はないのかもしれないという気がする。私は就職試験なるものを知らないから想像で書くが、多くの大学生は商社を受け、食品メーカーを受けと、大企業ならどこでもいいとか、なれるなら公務員ならどこの役所でもいいという程度の就職志望ではないだろうか。
 こういう行動を、けっして軽蔑しているわけではないので、誤解しないでほしい。サッカー少年や野球少年が、夢がかなってプロスポーツの世界に入るというような、ストレートな人生というのは特別なことであって、多くの若者は将来の自分の姿を明確に定めていたわけではない。
 だから、いまの若者も昔の若者も同じようなものだが、違いはやはりある。そのひとつは、昔の若者は「自由時間は、長くは続かない」と思っていたから、就職したら立派な会社人間になろうとした。人生とはそういうものだと思っていたから、自分の好きなものがなにかなどと懸命に探そうとしなかった。あるいは、仕事を趣味にしようとしたのかもしれなし、結果的に仕事が生きがいという「プロジェクトX人間」になったのかもしれない。
 この話は「趣味」や「個性」にも似ている。趣味とは、いつの間にか好きになったものであり、あるいはあるきっかけで好きになった物事である。個性とは持って生まれたものである。ところが、「人生に潤いを与えてくれるから、趣味をもちなさい」とか「個性的に生きなさい」などと、教育者や宗教家や評論家などに言われると、困惑することになる。「個性」なんて、持とうと思って自由な個性が持てるわけではない。
 私は目の前にいる大学生に、もちろん励ましの言葉などかけなかった。アドバイスというわけでもなく、たったひとことこう言った。「旅行するなら、とりあえずひとりで行ってみたら。誰もあてにせず、誰からもあてにされない旅をしてみたら」と。

 


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