大野力さんとピブーン

前 川 健 一


『ニッポン人はなぜ?』
大野力著
スリーエーネットワーク



 手紙類を保管していた引き出しを、思い切って整理した。これまでも何度か整理を試みてきたが、手紙というのはなかなか捨てられないもので、数年前は別の箱に移動させて「よし」とした。今回は、「過去なんか、どうでもいいや」という心境の変化があり、ひと思いにほとんど燃えるゴミにした。電子メールの時代になって、私信というものは、あまり出さないし受け取らなくなってきた。淋しいが、しかたがない。今後、どんなに長生きしても、文書箱がいっぱいになることはないだろう。
 ひと思いに捨てようとしたが、それでも捨てられなかったのが、タイ語辞典の冨田竹二郎先生からいただいた何通もの手紙と、大野力さんからいただいた切抜きだ。
 『ニッポン人はなぜ?』(大野力、スリーエーネットワーク、1998年)が非常におもしろかった。面識はないが、奥付け上の著者紹介に自宅の住所が書いてあったので、感想の手紙に「旅行人」に書いた私の書評コピーを添えて送った。その返事として2通の手紙をいただいた。大野さんは2001年に亡くなられたので、結果的には、この本が最期の著作になったようだ。
 大野力(おおの・つとむ)さんの略歴は、次のようになる。1928年生まれ。中学教員ののち、文筆業に入り、「思想の科学」編集委員に。そして、同社社長。1972年以降、アジア各地を歴訪し、「アジア歴史講談」と銘打ち、アジアの話をする会を各地で行なう。相模原市国際交流協会理事長。海外技術者研修協会講師。
 私が初めて大野さんを知ったのは、『新・亜細亜風説書』(創世記、1976年)や『再発見アジアを知る方法』(日刊工業新聞社、1978)が出たころで、上野本牧亭でその「アジア講談」を聞いた記憶がある。演目は「ホセ・リサールの日本訪問記」だったような気がするが、なにしろもう 年ほど前のことなので、はっきりとは覚えていない。
 同じ時代にアジアをよく語っていた人物といえば、竹中労がいる。竹中が大迫力のアジテーターであるのに対して、大野さんはお話おじさんだった。竹中のアジ芸は見事だったが、内容的には私の理解の外だった。一方、大野さんの話は回りくどい部分はあるものの、内容的には私の好奇心に非常に近かった。
 1976年に出た『新・亜細亜風説書』の第3章は、「アンパンと人力車 輸出された明治の発明=vというタイトルだ。クアラルンプールの国立博物館に人力車が展示してあるという話から、アジアの人力車事情を語っている。それが、のちに『東南アジアの三輪車』で、人力車事情を書くことになる私が読んだ最初の、人力車情報だった。だから、『東南アジアの三輪車』の取材で、私もクアラルンプールの国立博物館に人力車を見に行っているし、参考文献に『新・亜細亜風説書』が挙げてあるのは、そういういきさつがあったからだ。
 大野さんからの返信に、相模原市国際交流協会発行の「国際交流ニュース」に連続して紹介したピブーンに関する記事はおまけについていた。わたしにとって、とても嬉しいプレゼントだった。
 通称ピブーン(プレーク・ピブーンソンクラーム)はタイの元首相(在任1938〜44年、48〜57年)で、クーデターによりタイを脱出して日本に逃れ、1964年相模原で客死した。タイ政治史のなかでトップクラスの知名度がある人物が、相模原で死んだことは知っていたが、詳しいいきさつを書いたものを読んだことがないので、貴重な資料だろうと思い読み始めた。ところが、いわば「序」だけで、肝心の本論部分がない。
 そこで、相模原市国際交流協会に電話して、詳しい資料がまとめられているかどうか問い合わせた。すると、協会は大野さんの自宅で、電話に出られたのは奥さまだった。電話で、こんな事情がわかった。
 大野さんはピブーンのことを調べていて、資料を集め、タイにも取材に行き、その一部は「国際交流ニュース」にメモのように書いてきた。そして、本格的な本を書く準備を整えつつあったときに、病魔が襲い、執筆よりも病気の進行が早く、結局、資料を集めただけで終わってしまったそうだ。
 タイの著名な政治家が日本に住み、日本で死んだにもかかわらず、日本語の資料がほとんどないのが不思議だった。相模原の住人も、ピブーンの存在を知らなかったらしい。どうしてそうなったかというと、ピブーンは日本軍と密接な関係のあった人物で、タイ側も日本側も積極的には語りたがらないうえに、戦後の賠償問題(特別円)にもからむので、日本企業との裏の関係も深いはずで、「相模原のタイ人」は、日タイ両国にとって、ジャマな存在であったのかもしれない。
 できるなら、タイ政治史の研究者が、大野さんが集めた資料も使って、「相模原のタイ人」を描いて欲しいものである。
 

「季刊 アジア文庫から」 No.96
活字中毒患者のアジア旅行(79)より

 

前川健一の連載コラム「アジア雑語林」

ホーム