秀逸のタイ社会論 『タイ人と働く

        前川健一    

 

 



『タイ人と働く』
ヘンリー・ホームズ
&スチャーダー・タントンタウィー著
末廣昭訳・ 解説  
めこん刊  
2,000円

 『タイ・ベトナム枝葉末節旅行』の取材をしていたころだから、1995年から96年のことだ。このときバンコクで買ったおもしろい本の一冊に "Working with the Thais" があった。一応ビジネス書ではあるが、タイの社会論になっていて、興味深く読んだ。その本が最適の訳者を得て『タイ人と働く』(ヘンリー・ホームズ&スチャーダー・タントンタウィー、末廣昭訳・解説、めこん、2,000円)として翻訳された。著者はアメリカ人とタイ人の夫婦で、異文化理解の専門家であり経営コンサルタントでもある。この本は西洋人のビジネスマンがタイで仕事をするさいに感じる疑問や不安、直面するトラブルなどを実例を挙げて紹介し、タイから見ればそれはどういう事情によるものなのかを解説しつつ、タイでうまく仕事をするコツをアドバイスした本だ。
 この本を読んでいると、日本人はタイ人と西洋人の間に生きているのだとつくづくわかる。たとえば、「タイ人は時間を守らない」とか、「タイ人は仕事に責任を持たない」といった西洋人の批判を読むと、日本人も西洋の側にいると感じる。ところが、次のような話になるとタイ人と感情を共有できる。西洋人、とくにアメリカ人はホームパーティーが大好きなのだが、日本ではなかなか招待してくれないという不満を日本の雑誌などで読んだことがある。この本にもおなじような話が紹介されている。タイ人が西洋人を自宅に招きたくないのは、言葉や食べ物や家の狭さが原因なのであって、西洋人が大嫌いなわけではない。日本人だっておなじなのだが、ホームパーティーに招かれない西洋人は除け者にされていると感じているらしい。今のところ、日本語で読めるタイ社会論でこれ以上わかりやすく、かつおもしろく読める本はない。ていねいな解説とマンガが、理解をより深めてくれる。買っても損はさせないと、私が保証する。
 次は、残念ながら出版時にチェックできなかった本だ。太平洋戦争が始まった直後、マレーやシンガポールに住んでいた日本人はイギリス軍に捕らえられ、インドの収容所に送られたという話を、『インドの酷熱砂漠に日本人収容所があった』 (峰敏朗、朝日ソノラマ、1995年)で知った。そんな事実はまったく知らなかったので、手元のシンガポール関係の資料をあたってみたら、わずか数行の記述があるだけだった。収容所では、ブラジルの日系人社会と同じように、終戦時に勝ち組と負け組に分かれて騒乱があった。著者は、元ニューデリー日本人学校の教員で、日本に帰国後収容所のことを知り、関係者を訪ねて取材を重ねてこの本を書いた。
 次の本も出版時に買いそびれた。戦時中、大東亜共栄圏を作るために、アジア各地から将来の指導者となるべき留学生が日本に集められた、これが南方特別留学生だ。私の知識は、『南方特別留学生トウキョウ日記』(レオカディオ・デアシス、高橋彰編訳、秀英書房、1982年)を読んだだけだったが、今回『アジア戦時留学生』(藤原聡、篠原啓一、西出勇志、共同通信社、1748円、1996年)を読んで、全体像がやっとつかめた。戦後の日本と東南アジア諸国との関係に、元留学生がたびたび姿を見せるから、戦後史の細部がわかる。今話題のデビ夫人も登場する。彼女をスカルノに贈った商社は、ジャカルタにそびえる独立記念塔の建設も受注している。巻末の留学生名簿には、帰国後の経歴なども載っていて資料的価値がある。
 現在のタイ国王の兄であるラーマ八世は、1946年に銃弾を頭に受けて死亡した。自殺か他殺か、さまざまな推測を呼び、内閣は解散に追い込まれた。この事件を推理した『タイ国王暗殺事件』(レイン・クルーガー、徳岡孝夫訳、エール出版社、1974年)を長年探していた。古本屋でまったく見かけないので、大阪のアジア図書館に行ったときに拾い読みした。その本を先日、早稲田の古本屋で見つけた。さっそくじっくり読んでみると、原書がタイで発売禁止になったのがよくわかった。こんな危険な本を、タイ政府が販売を許可するわけはない。そういった禁書を読む楽しみはあるが、もし現在復刊されたとしても多分売れないだろう。タイ政治に興味がある人はすでに読んでいるだろうし、興味のない人は復刊されても読まないからだ。
 人力車と三輪車の研究者としては、映画「アンナと王様」の冒頭で、「1862年、バンコク」と字幕が出たあと、アンナたちが人力車に乗って王宮に向かうシーンが気になった。この時代には、人力車はまだ走っていなかったのだ。映画の脚本を小説にした 『アンナと王様』(エリザベス・ハンド、石田享訳、竹書房文庫、590円)でそのシーンを確認すると、「人力車さえ見当たらない街で馬車は……」とある。タイの雑学に興味のある方は、この本を校閲してみるといい勉強になる。
 おっと、締切り直前に、おもしろそうな本が二冊出た。『北ビルマ、いのちの根をたずねて』(吉田敏浩、めこん、2,200円)と、『タイ経済と鉄道』(柿崎一郎、日本経済評論社、5,500円)。残念ながら、内容を紹介するスペースがない。この二冊も、買って損はない。すぐレジヘ!

「季刊 アジア文庫から」 No.68
活字中毒患者のアジア旅行(51)より

 

 

前川健一の連載コラム「アジア雑語林」

ホームへ