草思社の本がいいぞ

前川健一   
   



「西欧の植民地喪失と日本」
ルディ・カウスブルック著 
近藤紀子訳
草思社  2,200円

 一般向けの本では『カルティニの風景』(めこん)などを書いた故土屋健治さんに、オランダ人は植民地支配についてどう思っているのかうかがったことがある。
 「『日本人なんぞにじゃまされなければ、インドネシア人をもう少し文明人にしてやれたのに』というのが、大部分の意見でしょう。だから、日本に対する反感はあっても、植民地支配を反省するなんて感情はほとんどありませんよ」
 オランダに限らず、イギリスもフランスもポルトガルも植民地支配を謝罪したことはおそらくないと思う。そんななかで、バランスがとれた少数派の意見を書いているのが、『西欧の植民地喪失と日本』(ルディ・カウスブルック著、近藤紀子訳、草思社、2,200円)だ。著者は1929年に蘭領東インド(現在のインドネシア)で生まれ、1946年まで滞在したオランダ人評論家。この本の基本となっている考え方は、オランダ人が日本の戦争を非難するなら同じようにオランダ人も非難されなければならないという「少数意見」である。あるいは、オランダ人が日本を非難しているとき、当のインドネシア人がどう感じているのか考えよという「少数意見」である。日本にもこれとよく似た意見を書いている人がいるが、それは「西洋の国々だってやったじゃないか」 という論理で日本の行為を正当化しようとするもので、この本の著者とはまったく態度が異なる。
  わかりやすい例をあげる。日本がインドネシアを占領したら「並木通りにも街路にも発音しがたい日本語の名前がついた」と苦々しく書いているオランダ人に対して、著者は次のようにさらりと皮肉を書く。日本語の街路名は「インドネシア人にとって、ファン・ヒュゥツスツラーツだのエレクツリシテイツウェフだのといったオランダ語の街路名より発音しにくいということはない」。
 この本のすばらしいところは、内容はもちろんだが翻訳がこなれていてとても読みやすいことだ。書名は学術書を連想させるが、著者が日本語で書いたかと勘違いするほど読みやすい文章だ。日本人の学者が書いた翻訳調日本語などとは比べものにならないほど、読みやすい翻訳になっている。
  ふと気がついたのだが、いままでのところ「草思社のアジア本に外れなし」と言えそうだ。もちろんすべての本を読んだわけではないし、読んだすべての本が満点というわけではない。不満を感じる本もあるが、「買って損した」と感じたことも、途中で読むのをやめたこともない。この原稿を書き終えたら、「1945年のマニラ新聞」(南條岳彦)を読む。おもしろそうだから、楽しみだ。
 言葉に興味がある人におすすめしたいのが、『世界のことば100語辞典』アジア編・ヨーロッパ編(石井米雄・千野栄一編、三省堂、各1,600円)。アジア編28言語、ヨーロッパ編31言語で、100の単語をどう書きどう発音するのかを紹介した本だ。詳しく内容を紹介するスペースはないから、アジア文庫で現物を見てほしい。多数の執筆者によるエッセイだけでも、読む価値がある。昔からこんな本がほしかったから、願いがかなってありがたい。この本の編集はKさんが担当したのだろうか?
 次は映画の本。アジア映画の批評や紹介を読んでいて不満に思うのは、映画評論家と呼ばれる人たちが映画のことしか知らないことだ。その映画を生み出した国の事情をよく知らず、試写室やビデオで見ているからその国の映画館事情や観客のことも知らないので、文章に臨場感がない。スターと監督の紹介文でお茶を濁しているだけだ。そんな不満を解消してくれたのが、『中国映画の文化人類学』(西澤治彦、風響社 2,500円)だ。日本人は見逃してしまいがちな中国映画の社会的・文化的背景や習俗などを解説した本で、著者は留学時代に中国で映画を見ているので、文章に臨場感がある。『黄色い大地』における「洗脚」という習慣や手作りの布靴を取り上げて、恋愛映画としての側面を解説した文章を読むと、この映画がもっとよくわかる。
 『もう一つの上野動物園史』 (小森厚、丸善ライブラリー、620円) を読んでいたら、アジアに関係する記事が目にはいった。 上野動物園の最初のゾウは、1888年にタイから贈られたオス・メス二頭で、メスは5年後に死んだ。残されたオスは気性が荒く、雇われたマレー人が調教に当たったが手に負えず、関東大震災直後に「檻が壊れて逃げ出したら危険」という理由で、売却処分された。売られた先は、浅草の「花やしき」である。こんなエピソードがいくつも紹介されている。
 食文化関係の本では、今年最大の収穫は『韓国料理文化史』(李盛雨著 鄭大聲・佐々木直子訳、平凡社、4,600円)だ。現代の食文化の変遷までは言及していないが、過去のことはこの一冊でだいたいわかる。アジアでは、中国と朝鮮の食文化資料はかなり出版されているが、他の地域となるとお寒い限りだ。相変わらず食べ歩き本は盛んに出版されているが、それ以上の内容のある本となるとほとんどない。「インドネシアの食文化」とか「インド亜大陸食文化史」なんて本を書く人よ、出てこい! 最初から完全本など書けるわけはないから、とりあえずわかったことから書き出してほしい。

 

「季刊 アジア文庫から」 No.66
活字中毒患者のアジア旅行(49)より

前川健一の連載コラム「アジア雑語林」

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