バトパハ

前川健一  




マレー蘭印紀行」
金子光晴著
中公文庫 税込\680 

 金子光晴の姿を初めて見たのは、おそらく「面白半分」の講演会だったと思う。そのあと吉祥寺でなんどか姿を見かけた。古本屋の片隅に腰かけて、店主と雑談をしていたり、ヨポヨボと並木道を散歩していたり、喫茶店のガラス窓越しに浴衣姿の詩人を見かけたこともあった。しかし、その頃の私は残念ながらこの詩人と東南アジアの関係を知らなかった。文学にほとんど興味がないせいで、中公文庫から彼の作品が出版されるまで、私にとっての金子光晴は浴衣姿の好色老詩人でしかなかった。
 昭和のはじめ、日本を抜け出した金子はまず中国に行く。中国からマレーに来たところまでが『どくろ杯』、ヨーロッパでの生活が『ねむれ巴里』。そのヨーロッパを離れて、東南アジアをぷらつくのが『西ひがし』だ。以上自伝三部作とは別に、マレー半鳥、シンガポール、スマトラなどのことを書いたのが『マレー蘭印紀行』だ。東南アジアが好きな人たちにとって、これら中公文庫の四冊、とくに『マレー蘭印紀行』は最高の名著となっている。私もまた、アジアの各地で彼の本を読み、帰国してからも読み返している。
 東南アジアが好きな活字中毒者としては、金子光晴を越える書き手を待ち望んでいるのだが、正直いってほとんどあきらめている。プロの書き手たちも、金子を越えようなどというとんでもない野望は持たず、一歩でも金子光晴の世界に足を踏み入れようとしている。具体的な地名でいえば、マレーシアの小さな町バトパハだ。この町の名は、金子光暗が描いた東南アジアに魅了された者たちにとって、いつも心の片隅で輝いている。
 室謙二は『アジア人の自画像』(晶文社)で、バドパハに行ったときのことを書いている。立松和平は『アジア混沌紀行』(筑摩書房)で、山口文憲は『面白半分』(80年4月号)で、バトパハを訪れたときのことを書いている。三人はそれぞれに、ある種の興奮状態であり、同時にクールな反応をしているところがおもしろい。
 私はといえば、マラッカでブラブラしていたときも、バッグには『マレー蘭印紀行』が入っていて、雨で散歩ができない時間はペットでこの本を読んでいた。バトパハまでマラッカからなら二時間くらいで行ける。しかし、私は現在の現実のバトパハに行く気にはなれなかった。バトパハで米粉(ミーフン)を食べてみたいという気がないではないが、金子光晴を気取るのはなんとも照れ臭かった。
 バトパハに行くかわりに、帰国後二冊の本を読んだ。『金子光暗詩集』(村野四郎編 旺文社文庫)と、『森三千代鈔』(森三千代 濤書房)の二冊で、いずれも今では古本屋でしか入手できない。旺文社文庫は末期のものは別だが、国語の教科書を読んでいるような気になってなじめなかった。森三千代は金子光晴夫人で、共に日本を出たのだが、彼女はひと足先にヨーロッパに行き、金子は東南アジアで旅費作りをやっていた。だから、森の本のなかには、アジアのことはほんの少ししか出てこない。彼女はバトパハには行っていないはずだ。
 金子光晴の詩集は幾種穎も出版されているはずだから、入手したければいつでも買えるのに、私は今までずっと買わずにきた。先日、本郷の古本屋で『鮫』を見つけて、パラパラとページをめくってみたものの、結局本は棚に戻してしまった。1000円だから高いというわけではない。詩集を買うのが恥ずかしかったのだ。金子光晴の詩集を持って東南アジアを旅行する自分を思い浮かべたら、堀辰雄や立原道造ファンの女の子ようで気恥ずかしくなった。
 私は素直ではない。

「新刊案内」 No.17 88年12月(アジア文庫刊)より

前川健一の連載コラム「アジア雑語林」

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