アジア文庫のレジ裏から

鼻高々
2005年11月29日

あれ、もう師走になろうという時期なのですね。すいません、なんだか「季刊 アジア文庫のレジ裏から」になってしまった感の当覧であります。年末に向けて、たまには明るい話題を。

先日、若い女性が来店、しばらくタイの棚の前にいて、やがて携帯電話で話す声が聞こえてきました。
「すごいよここ、何でもあるよ…、うん…、こんなに揃っているところほかにないよ。ここで買っていく…、ないない、ずいぶん探したけど、ほかでは絶対ない!」
こんなとき、「そうでしょう、そうでしょう」と呟きつつ、私の鼻は少し高くなります。
業種はわかりませんでしたが、仕事でタイ関係の資料を探されていたようでした。数冊まとめてお買い上げいただきました。

また、先日、ブータンの絵を描いていると言う熟年の女性がご来店。
「ブータンの建物が写った本ありませんか」というお尋ねで、数冊紹介すると、
「あらー、これいいわね、最初からここに来れば良かった。古本屋さんをあちこち、もう、ずいぶんまわったのよ。どこにもなくて」とのこと。
こんなとき、「そうでしょう、そうでしょう」と呟きつつ、私の鼻は少し高くなります。

また、ある日、インドネシア関係の本を10冊以上レジで清算しようとしていた男性。私がレジを打っていると、棚に目をやって、もう一冊追加、さらに、インドネシアの棚に戻って、もう一冊追加、「だめだ、ここにいるといくらカネがあっても足りない」と言いつつ、「でも、見つけたものはしょうがないな」と、さらに一冊追加。
品揃えをほめられているようで、こんなときも、私の鼻は少し高くなります。

ネットの注文でも、「大きい本屋さんをまわって探しても見つからなかった本です。ありがとうございました」と、わざわざお礼のメールをいただくことがあります。そうなんです。アジア文庫には、紀伊国屋書店でも、三省堂でも、アマゾンでも、手に入らない本も多くあるのです。
こんなときも、私の鼻は少し高くなります。

アジアに関心のある方に来店していただいたからには、「手ぶらでは帰さないぞ」、という気構えで品揃えをしています。ご来店まだの方は、ぜひ一度、お立ち寄りください。

鎌澤久也のアジアングラフィテイ
2005年9月5日

トップページにカメラマンの鎌澤久也さんのホームページから写真をお借りして、「鎌澤久也のアジアングラフィテイ」を設けてみました。週替わりペースで、アジア各地の表情をお届けします。
鎌澤さんは、中国雲南省を中心に、メコンや、シルクロードなどアジア各地を撮り続けているカメラマンです。今月末には 『シルクロード全4道を歩く』(めこん)を出版予定。

鎌澤久也さんの主要な著書・写真集は以下のようなものがあります。
シーサンパンナと貴州の旅』(めこん 2004年)
メコン街道』(水曜社 2004年)
雲南最深部への旅』(めこん 2002年)
『雲南・カイラス四〇〇〇キロ』(平河出版社 1997年)
『写真家はインドをめざす』(共著 青弓社 1997年)
『玄奘の道・シルクロード』(東方出版 1999年)
『南詔往郷』西南中国の人びと(平河出版社 1996年)
『藍の里』西南中国の人びと(平河出版社 1994年)
『雲南』西南中国の人びと(平河出版社 1993年)

鎌澤さんの写真をもっと見たいという方は、鎌澤さんのホームページ、「アジアングラフィテイ」をご覧下さい。

涼風をお届け
2005年8月30日

残暑はまだまだ続きそうですが、ちょっと涼しい写真を。
私の田舎は湯の町別府ですが、市内から車で由布院に行く道を30分ほど走り、途中、脇にそれて10分ちょっとで、由布川渓谷という知られざる秘境があります(地元でも知らない人が結構います)。
渓谷に降りるとひんやりとして、汗がスーッとひいていくのが心地いい。流れる水に足を入れると冷たくて下界の暑さを忘れさせてくれる。さらに、流れる水と、渓谷に覆いかぶさるように繁った木々の緑と木漏れ日。目に入る景色も涼感を倍増させてくれる。
ただ、難点は帰り道。渓谷の両脇は20〜30メートルの崖に挟まれた谷間になっているので、ここを上らなければならない。もちろん、階段はあるのだが、上りきると汗だくになって、元の木阿弥。
下の写真が由布川渓谷です。涼んでいただければ幸いです。
由布川渓谷へのアクセスはこちらをご覧下さい。
お国自慢でした。

夏休み
2005年7月21日

トップページでお知らせしましたように、担当者(私め)の夏休みのため、7月21日(木)から7月24日(日)までの間、ネット業務を休ませていただきます。この間にいただいたご注文への確認メール、商品の発送作業は、7月25日(月)以降対応させていただきます。ご迷惑をおかけして恐縮ですが、ご了承ください。店舗は夏期休業もなく、平常通り営業していますのでご利用ください。お急ぎのご注文は電話(03−3259−7530)で承ります。

私はここしばらく、一般的な8月のお盆を外して夏休みをとっていて、逆にお盆の時期に仕事をしているのだが、多くの人が休むこの時期の東京は、大変過ごしやすい。
まず、通勤電車がガラガラで、快適。東京の空も抜けるように青くてすがすがしい。暑さもそれほど気にならない。普段のあの人いきれでジトッとした蒸し暑さからも解放されて、爽快ですらある。そのわずかなお盆の期間が終わり、また、人々が働き始め、いつもの日常に戻ってしまうと、暑さもぶり返す。あのジトジトの暑さは、大勢の人が発する暑さでもあるのかもしれない。人が働いている時に休み、人が休んでいる時に働く。私のささやかな楽しみでもあります。
私の大好きな夏の情景は、ミンミンと降り注ぐ蝉時雨の中、肩にかけたタオルで汗をぬぐいながら、広く開け放たれた縁側で、スイカをかじりながらあり余る時間を悠然と過ごす、というものです。夏と言うと必ずこの情景が思い浮かびます。暑いのだけれど、暑さが心地よい至福のひと時。こんな夏休み、しばらく過ごしていないな。

内緒の話
2005年7月6日

気がつけば2ヶ月ものご無沙汰になってしまいました。先日、ある席で、ある方に「最近、『レジ裏』からの更新ないですね」と言われて、心待ちに読んでくださる方もいるのかと、反省。
まずは言い訳から、6月から、スタッフの一人が産休で長期休暇に入ってしまった。彼女は10年以上のベテランで、「これ、お願い」と言えば、あるいは何も言わなくても、片付いていたことが、片付かなくなり、体制の立て直しに四苦八苦の体。弱小書店の悲哀、昨今の売り上げでは、補充要員は望むべくもなし。かなわぬことながら、願わくば、ネット専従者も欲しい。

先月初めにサイト上にも古書を掲載しました。ご利用いただければ幸いです。
特価本もしばらく更新をサボっていましたが、これも先月、100点近く掲載しました。特価本とは、定価販売の強制(再販制)を外れた本のことです。特価本の泣きどころは、供給に限りがあること。出版社が在庫に見切りをつけてくれない限り市場に出てこない。この時期、おそらくかなりの出版社が不良在庫をかかえているとは思うのだが、出版界はあまりにも体質が古い。再販制の呪縛にとらわれている出版社も多いのだろう。もっと柔軟な流通形態をとればいいのにと思うこともしばしば。ブックオフを始めとした「新古書店」が急激に勢力を伸ばしたのも、そんな旧態依然とした出版界の盲点をうまくついたからだろう。

今の出版流通の2本柱、再販制と委託配本では、書店の粗利は2割そこそこに抑えられ、専門店にとっては極めてきつい形態だ。日本に専門書店が育たないという状況は、この流通形態が変わらない限り続くだろう。アジア文庫がこれまでもちこたえたのは、奇跡に近いのかもしれない。アジア文庫の場合、輸入書の扱いで、少し救われている部分もあるけれど、売り上げの大半は、新刊の和書であることは今も変わらない。

輸入書、特価本、古書は再販制とも委託とも無縁だ。定価は書店で自由につけられるけれど、買い切りだから売れない場合は自己責任。むしろこの方がすっきりする。アジア文庫でこうした取り扱い本の幅を広げてきたのは、もちろん、総合的なアジア専門店になりたいという思いが第一だったけれど、あまりにも規制の多い新刊本の流通形態から少しでも自由になりたいという裏の思いも、内緒だけれどあった。

古書棚設置
2005年4月23日

先日、当欄で触れましたが、古書の棚ができました。まだ棚3本で、500冊程度ですが、なんとかそれらしきコーナーになっています。来店の際はご覧下さい。徐々に増やしていきます。古書のネット販売の許可も得ましたので、近々掲載していきたいと思っています。

仕入れた古書の値付けをしている。これは悩ましく、手間のかかる作業だが、反面、楽しい作業でもあります。アジア文庫の開店が1984年だから、これまで扱ってきた本は、古い本でも1970年代以降の本しかない。それ以前の本を手に取って、じっくり見た経験があまりなかった。今は重鎮となった研究者や、亡くなった著者が、若いころにこんなところに、こんなことを書いてあったのか、といった発見がいくつもありました。また、かつて大いに売れて、今は絶版になった本の装丁を目にして、この本ずいぶん売れたよなと、懐メロ的ななつかしさを味わうこともしばしば。
改めて思うのは、本の寿命(流通している期間)は、短いなということと、アジア関係の本でも、意外に文庫になっている本の多いこと。専門的な本も、岩波書店や筑摩書房、講談社の学術文庫に入っている本も多い。それでも、10年間流通している本はまれだ。文庫として生まれ変わっても、長くて数年で終わってしまう。
10年で世の中の様相が一変してしまう時代ではありますが、読み継がれる本が少なくなっていくというのもさみしい気がする。

喫茶店にて
2005年4月14日

日課になっているのだが、昼食後、近くの喫茶店で新聞を読んでいたら、隣の席に80歳を少し超えたかと思われる二人連れの老紳士が座った。一人は耳が遠いようで、かなりの大声でしゃべる。
やれやれ、ゆっくりできないかな、と思っていたら、意外に二人の話がおもしろいので、聞くとはなしに(というか、大声で、しかもすぐそばなので、イヤでも聞こえてくるのだが)聞き入ってしまった。
 話題は、中国の反日デモから始まった。
「一体どうなっているんだろうね」
「日本がきちんと歴史を清算してこなかったということもあるけど、なんで、今になって、急にああなるのかね」
「中国政府がからんでるんじゃないのかな」
「たぶん、中国人と個人で付き合えば分かり合えるとだと思うんだがね、集団とか、国になっちゃうとどうしてああなっちゃうんだろうね」
「僕がシベリアに抑留された時は、ひどい目にあったが、ロシア人、一人一人は明るくて、いい人が多かったな。今はどうか知らないが、当時のロシア人は、みんな農民で貧しかったね。配給される砂糖をね、わずかだったけれど、少しずつ集めておいて、ロシア人に芋と交換してもらっていたよ。個人レベルではあんな時代でも交流できたよ。ところが、国同士ではひどいことになっちまう。中国だって同じだと思うよ。個人で付き合えば、分かり合えるんだよ、何も問題はない。ところが、国家となるとああなっちゃう」
「国なんてものがあるからいけないんだよな、なくなっちゃえばいいのにな」
「まあ、そうもいかないだろうけど、何のために国があるのかとは思うね。何か役に立っているのかね」
「福祉とか、年金とかかな?でも、その程度かね」
「とにかく、もう戦争はこりごりだね」
「あんな思いはもうしたくないね、二度とイヤだね」
「まあ、我々が生きている内にはないだろうが、その後はわかんないね」
 やがて、話題は最近の時事問題へ。
「しかし、もう我々の時代は終わったね。あのホリエモン、彼はあの若さでなんであんなに金持ってるの。ライブドアって、何をしている会社なのか、何度聞いてもさっぱりわからないんだよ」
「三木谷だっけ、プロ野球のチーム作ったの。あの楽天も何をやってんだかよくわかんないね」
「何度聞いてもわかんない」
 なかなかにステキなお二人でした。

NHKインドネシア語講座
2005年3月24日

NHK出版から電話があった。「教育テレビで、4月から始まる『アジア語楽紀行』という番組のインドネシア語テキストが発売になったのですが、入荷していますか」、とのことだった。
うかつにも、情報を聞き漏らしていた。「英語講座」や「ハングル講座」のような放送形態ではなく、一回の放送時間はわずか5分(週3回[火・水・木]で4月の一ヶ月間、12回)の番組だけれど、東南アジアの言語が教育テレビで扱われるのは初めてだろう。5月に再放送されることも決まっているそうだ。
NHKの語学講座では、「中国語」、「ハングル」はすでに定着しているけれど。アジアの他の言語も扱っていいのではと思い始めてから、10年近くになる。「アラビア語講座」は一昨年に始まった。もういいかげん、東南アジアの言語も扱うべきだろう、と思っていたところだったので、私にとっては画期的な“事件”だった。
その電話で30冊注文したが、入荷までしばらく待たなければならない。すぐに欲しくて、近くの取次に行ってみた、ありました。こちらです。バリに暮らす女子大学生が主人公になって、ドラマ仕立てでインドネシア語を学ぶという構成のようだ。バリの宗教、文化を紹介したコラムも掲載されている。インドネシア語テキストとしては、税込578円という定価も画期的。
今後、タイ語、ベトナム語も予定しているそうだ。

春が来た
2005年3月7日

昨日までの真冬のような寒さから、やっと、少し春めいた日がやってきた。と思ったら、「クシュン、クシュン」と、今日は、Tさんのクシャミがいつになくはげしい。時おり、「ヘーッ、クショーン」と、レディにあるまじき、すさまじい轟音も混じる。目を潤ませて「今日は、もー、ホントにすごいんですよー」と涙ながらに訴える。花粉症の人にはつらい季節がやってきたようだ。田舎モンの私は、今のところ文明病とは無縁だが、見ているだけで気の毒になる。
税理士のOさん来店。確定申告の季節でもある。所得税は納めるべきほどのものもないが、利益のあるなしにかかわらず、消費税は相当額になってしまう。
以前にも当欄で書いたことがあるが、私は給与所得者も含めて、国民すべてが確定申告をするべきだと思う。納税者が皆、一様に痛税感を味わえば、税金の使途に敏感になり、政治に無関心でいられなくなるはずだ。私自身、源泉徴収されていたときは、納税している感覚すらなかった。昨年から、消費税も内税表記が強制され、ますます納税意識が希薄になってきている。いったん懐に入った金から税金を払うという痛みを、サラーリーマンもぜひ味わっていただきたい。そうなれば、多分、日本の政治は変わるだろう。

開業記念日
2005年3月1日

3月1日はアジア文庫の開業記念日。初めてのお客さんは今でもよく覚えている。開業時は、現店舗ではなく、神保町交差点近くの靖国通りに面した小さなビルの2階だった。
開店を翌日にひかえて、最後の棚整理に精を出していたとき。開け放っていた入り口の扉から一人の青年がひょっこり顔を出して、
「アジア専門の本屋さんですよね、いつ開店するんですか?」と、声をかけてきた。
「明日開店します」と答えると、
「楽しみにしてます」と言って帰っていった。

お客さんが本当に来てくれるのか、開店準備をしながらも、かなり不安だった。「アジアの専門店なんてやっていけるわけがない」と言うのが大方の見方だった。それも、出版に関わっている度合いの強い人ほど否定的な見方をしていたように思う。
さて、いよいよ開店当日、看板を通りに出して、不安を抱えたままレジに座った。10分も経たずに、階段をタンタンと、勢いよく駆け上がる足音が聞こえた。入ってきたのは、昨日の青年だった。
「こんな本屋さんができるのを待っていたんですよ」、青年はそう言うと、すぐに棚を眺め始めた。棚から本をすいすいと抜いていく、やがて、10冊前後の本を抱えて私の座るレジのカウンターに置いた。
その時、それまでモヤモヤとしていた不安が一掃された。嬉しかった。まだ初めての、たった一人のお客さんだったけれど、「やっていける、大丈夫だ」そう確信した。こんな書店ができるのを待っていてくれた読者は確実にいるんだ、そう思った。
それは多分、わくわくするような気持ちを表して本を選ぶ彼の姿勢から、アジアへの強い関心、思い、そんなものが伝わってきて、彼の背景に、おそらくもっと大勢の、同じような人達が存在するだろうという、そんな漠然としたアジアへの関心の広がりが垣間見えたからだろうと思う。

あれから21年が経ったということが信じられない、彼のことは、昨日のことのように鮮明に覚えている。私より少し若かったあの青年も、もう中年になっているだろう。彼はその後も、何度も来店して本を買ってくれたが、アジア文庫の経営が軌道に乗り始めたころから姿を見せなくなった。まるで、「もう、私が支えなくても大丈夫でしょう」というかのように。当時、出版社に勤めていると言っていたが、今、どうしているのだろう。一言お礼を言いたい。

古物許可証
2005年2月25日

古物許可証の一部変更届のため神田警察署へ。警察の敷居は高い。もっと早く行かねばと思いつつ、のびのびにしていた。「なーんも悪いことしてないもんね」と呟きつつ、警察署の門をくぐる。
思いに反して、応対してくれた方(勿論、警察官)は、書式の書き方を細かく、大変丁寧に教えてくれて恐縮した。「分からないことがあったらいつでも聞いてください」、と名刺までいただく。市役所の窓口より余程親切だった。
本に限らず古物を扱う場合は、公安委員会の許可が必要となる。盗品の売買を防ぐという意味合いがあるようだ。
アジア文庫がなぜ古物証を、とお思いの方もおられるでしょう。実は、許可証自体は十数年前に受けていた。古書も扱いたいという思いは以前からあったのだが、新刊書を追うのに手一杯というところがあった。今、余裕ができたというのではないけれど(むしろ、余裕がなくなったから、といった方が正直かも知れない)、新刊書、輸入書、古書を揃えた専門店にしてみたいという気持ちが強くなった。少しずつ古書を買い集めてもいる。近いうちに、店舗に古書の棚を作るつもりでいます。
一般的に本の寿命は短い。寿命というのは、本が書店を通して買える、流通している期間という意味です。特に、大手出版社の本は、短ければ半年も経つと品切れで入手できなくなることがある。専門書や、辞書などを除くと、出版後、2〜3年で手に入らなくなる本も多い。最近ますますその傾向が強くなっているようにも思える。アジア文庫で扱っている本は、比較的息の長い本が多い(それだけ売れない本を扱っているということでもあるけれど)が、それでも、10年も経つとほとんどの本が入手不能になってしまう。古書を扱いたいと思ったのは、少しでもそんな状況を改善したいと考えたからでもあります。どこまでできるかは、自分でも未知数だが、やりながら試行錯誤をしてみたいと思っています。棚ができましたら、このページで報告します。
ネットでの販売も考えていますが、ネット販売にはまた別途届出が必要とのことで、これはもう少し後になりそうです。

フロム・エー
2005年2月23日

先週末、「掲載誌在中」と書かれた『フロム・エー』が送られてきた。求人広告の依頼などした覚えがないのに、「なんで?」と頭に???が三つほど灯って、思いだした。ひと月ほど前に取材を受けていたのだった。掲載誌は忘れたころにやってくる。これまでも見知らぬ雑誌が突然送られてきて、「なんだこれは?」ということがよくあった。ひと月もするとすぐに忘れてしまう。
「20代の書店員の方に、小説を紹介していただきたいのですが」との依頼だった。「残念ながらウチには20代がいないんですよ」(アジア文庫は平均年齢が高いのだ)、「30代前半の方でもかまいません」、「30代ならばいます」、ということで、当欄にもしばしば登場するTさんに白羽の矢が立った。
巻頭の企画ページ「書店の中心で『オススメ』とさけぶ」特集で、6人の書店員がオススメ本を叫んでいる。いました、Tさんも、「切なすぎて涙がとまらない!“恋愛の教科書”といえるタイの名作」と叫んでいる。エライ! しっかりアジア文庫唯一の出版物「メナムの残照」を宣伝してくれています。フロム・エーは週に2回発行というすさまじいサイクルで刊行されている。掲載誌の発売期間は多分、今日、23日まで、見逃した方は、近くの書店へ急ごう。
フロム・エーを久しぶりに手にとって驚いたのは、その定価。A4判より一回り大きく、400頁を超えているにもかかわらず税込で100円。広告で成り立っている雑誌だから、出版社は無料で配ってもかまわないのだろうが、書店の立場からすると、かなりやっかいな存在ではなかろうか。大判で場所を取り、分厚くて重い。売れても100円。
アジア関係の雑誌は高い、100頁足らずの雑誌でも、1000円前後の定価がついているものが多い。普段、こうした雑誌を扱っていると、フロム・エーに限らず、一般に書店で発売されている雑誌は、安いなといつも思う。アジア文庫で扱っている雑誌に比べて発行部数が2桁は違うだろうし、広告の量も違うのだから当然なのだが、時に、そうした雑誌をも「高い」という声を聞いて驚くことがある。インターネットの普及とともに、情報はタダが当たり前という感覚が育ってきているという気がしなくもない。
2004年の出版販売額は、以前紹介したが、書籍は微増にもかかわらず、雑誌は7年連続でマイナスだった。この数字が示しているのも、情報源としての雑誌の存在感が薄れてきているということだろう。

春よ来い
2005年2月19日

朝、起きてみると、夜のうちに降った雪で、家や、車の屋根が白くなっていた。朝から雨に変わったが、一日中降り続ける寒い日になった。春の兆しが感じられる暖かい日の後に、今日のような天気の日が来ると、寒さが余計強く感じられる。こんな日は、誰も外に出たくないようで、土曜日なのに店は閑散としていた。
神保町は週のうちで土曜日が一番人手が多い。古書店組合の取り決めで、第一、第三の日曜日は、ほぼすべての古書店が休業、第二、第四の日曜日は半数が開店という事情がある。
第一、第三の日曜日に神保町の靖国通りを歩いてみると、ずらりとシャッターが下りた通りの中に、ぽつん、ぽつんと開いている店はほとんどが新刊書店だ。利幅の薄い新刊書店は、営業時間や、営業日を延長して、来店客数を増やすことでしか稼ぐすべがない。
それにしても寒い。このビルは、南側がほぼ同じ大きさのビルに遮られているので、陽が当たらない。暖房を最大にしても足元が冷えてくる。春よ来い、早く来い。

さぼうる
2005年2月17日

閉店後、「さぼうる」で、書誌アクセスの店長、東方書店の前店長と飲む。二人とも相変わらず強い。久しぶりに二人とゆっくり飲めて、楽しかったのだが、この時期、書店員が3人集まると、どうもあまり景気のいい話は出てこない。困ったもんだ。
ところで、この「さぼうる」、古きよき時代のカフェの面影を残した店だが、私はこの店の前を通ると思い出すことがある。会社勤めをしていた時、いつも遅刻しそうになりながら、この店の前をバタバタと駆け抜けていた。店は前面が鏡張りになっていて、その脇に置かれたテーブルで、いつも二人の初老の紳士がコーヒーを悠然と飲んでいた。朝の気ぜわしい外の世界とは隔絶され、ゆっくりと時間を楽しんでいるような風情がなんとも羨ましかった。「いいなー」その光景を見るたびに、私もあんな風に朝からゆったりとコーヒーを飲みながら過ごしてみたいものだと思っていた。当時の会社勤めの身分では、願ってもかなわぬ別世界の夢物語のように思われた。
その思いは、時間や、その他諸々のものに縛られる勤め人を辞めたい、という小さなきっかけのひとつになったような気もする。
勤め人を辞めたいま、その気になれば、あの二人のように、朝からゆっくりコーヒーを飲んでいても、だれにも咎められることのない立場になったが、まだ実行していない。夢の世界はもう少し後にとっておきたいような気もする。

ぶんぶん来店
2005年2月16日

夕方、いつも明るい「ぶんぶん堂」のぶんぶん来店、久しぶり。彼女はあちこちのイベント会場に出かけて、インドネシアの輸入雑貨の行商をなりわいとしている。「ぶんぶん堂のホームページも作ったんだけど、注文少ないのよねー」と嘆いていたけど、掲載商品少なすぎやしないか?ぶんぶん。
でも、アジア雑貨は競争が激しいとか。Yahooで、「アジア 雑貨」で検索すると…、アジア雑貨店がずらり、398件もあった。確かに、これはすごい。ちなみに、「アジア 書店」だと…、わずか11件(おーっ、アジア文庫がトップででた)。同じアジアでも、雑貨と本でこの違いはどこからくるのだろう。本がいかに売れないかということか。
ぶんぶんはNGOの日本インドネシアNGOネットワーク(JANNI)にも関わっていて、1965年、スハルト政権下で起きたインドネシア共産党(PKI)によるクーデター未遂事件、9.30事件に関する、「インドネシア 始まった1965年事件の真相解明 〜被害女性レスタリさんは語る〜」のセミナーのチラシも持参。2月27日(日)ちよだプラットフォームスクウェアで開催。関心のある方はご参加ください。詳しくは上記、JANNIのホームページをご覧ください。
また、ぶんぶん堂は、2月26〜28日、3月5〜7日、埼玉県小川町にある家具スタジオ「木の香」にて展示会を開くそうです。お近くの方は覗いてあげてください。

何を思ったか突然の日記、今回は三日分
2005年2月15日

2月15日(火)
昼過ぎ、店内がめずらしく華やぐ。女子大生が10人近く来店。先生らしき方もいたので、女子大のゼミなのだろうか。皆、熱心に本を選んで、それぞれ2、3冊の本を求めていった。
新学期には、資料探しの実践なのか、先生に先導されて学生が数人訪れることがある。でも、たいていは、先生が何冊か本を求めても、学生たちは、あまり熱心でない、ということがよくある。学生が本を読まなくなったといわれて久しい。私も実感として、そう感じている。最近は嘆く人さえ少なくなったような気もする。新聞すら読まなくなったとも聞く。
でも、今日の学生さんたちは違った。学生が真剣に本を選んでくれるというのは、本屋にとって心地いいもんです。そんな忘れかけていた、清涼感がよみがえったひと時だった。

2月14日(月)
前川さんから「その調子で日記を掲載しましょう」との励ましのメールをいただく。でも、たぶん、がんばっても、私のことだから、三日坊主で終わるだろう。子供のころから、日記が一ヶ月以上続いたことがない。
前川さんは本職とはいえ、驚異的に筆が早い。小店発行の新刊案内「アジア文庫から」連載の「活字中毒患者のアジア旅行」はこの2月に出した87号で70回目になるが、原稿を依頼すると、翌日か、翌々日には、きちんと、字数ぴったりの原稿が届く。当サイトに連載の「アジア雑語林」の原稿は、いつも10本前後のストックがある。十数年来の付き合いになるが、原稿がいつ届くか、いらいらした覚えが一度もない。『東南アジアの三輪車』を一週間で書き上げた、という伝説的な話に私はなんの疑問も持たない。編集者にとってこれほどありがたい著者も少ないのではなかろうか。最近はメールで原稿が届くようになって、さらに早くなった。
その「東南アジアの三輪車」の執筆で手を傷めて、やむなくワープロを購入したのが、頑迷な前川さんの運のつき(?)だった。筆一本と原稿用紙のみで生きていくのかと思えた前川さんも、時代の波にはあらがえず、今では情報端末を駆使するようになった。「パソコンなんてものを買えるか」と言っていたあの前川さんが、「メールなんてめんどくさいものができるか」と言っていたあの前川さんが、今では、ネットサーフィンにいそしみ、古書店のホームページから古書を買いあさり、原稿はメールで送信。韓流ブームよりこちらのほうが、むしろ、劇的な変化かも。

2月13日(日)
本日も休日。飛び石でも休めるとホッとする。夕方、例によって、晩飯の食材調達のために買い物に。寄り道して、敵情視察ではないけれど、近くのブックオフに立ち寄る。
先日、カミさんに頼まれて、いらなくなった子供の学参や、TVゲームの本を30冊ほど持ち込んだことがある。どのくらいで買い取るのだろうと興味津々だった。300〜500円くらいかな?と思っていたら、「こちら半分は引き取れません、残り、こちらの本で70円になります」といわれて、口がポッカリと開いた(のが自分でも分かった)。売れ筋のコミックでもあればもう少し高くなるのだろうけれど、でも、冷静に考えれば、まあそんなもんでしょうね。70円をうやうやしく受け取る。店内はいつものようにうるさい。なぜ、パチンコ屋のようにあんなにガンガン音を鳴らすのだろう。その日は余計にうるさく感じた。
今日は冷やかし、時間があったので、棚をじっくり観察した。入り口近くのCD、DVD売り場には、ここにもヨン様がたくさんいらした。コミックの棚を過ぎて、単行本の105円均一コーナーに行くと、アジア本では…、ありますね、バーツ危機以前のアジアバブル本が、105円均一でごっそり。この手の本は、アジア文庫で100円でも売れないだろうな。他に目立つのは、週刊誌の見出し風のタイトルが際立つ北朝鮮関係本。あおりにあおってやろうという編集者の魂胆が見えすぎ。乗せられて買った人も多いようだ。拉致問題が顕在化してから急激にこの手の本が増えた。90年代にアジア文庫の棚を席巻したアジアの旅本も、ちらほらと見かける。かつてのベストセラーも数冊固まってうずくまっている。
見方によれば、この105円均一コーナー、ここ10年くらいの出版状況を象徴しているようにも見える。1時間近く楽しませてもらった。
ひとつ疑問に思ったのは、専門書がほとんどないこと。買い取らないのだろうか?回転率を重視しているようだから、買い取っても、店頭には出さないで、他の古書店にそれなりの値段で売っているのではないかとみたが、どうだろう?今度、持ち込んでみようかな。

何を思ったか突然の日記、ある書店主の地味な一週間、一挙掲載
2005年2月13日

2月6日(日)
日曜日当番で、店に。お客さんパラパラ、女性客多いも、冷やかし大半。店番の隙を見ながら、編集に手間取り、遅れていた「季刊アジア文庫から 87号」(2月1日発行予定、遅れすぎです。ごめんなさい)の印刷。夕方やっと終了。数年前までは、印刷所に依頼して、1500部発行していたこともあったが、次第に残るようになり、現在は、経費削減、思い切って購入したレーザープリンターで、自家発行に切り替えた。まだ折りと、発送が残っている。ふーっ。毎度の事ながら、後はTさんお願い…。

2月7日(月)
私はレジにいなかったのだが、久しぶりに、評論家のY氏が来店されたそうだ。Y氏は恐るべき読書家。氏の買い方は豪快。商売っ気抜きに、見ていて気持ちがいい。本を読みこなしている人の選び方は痛快だ。氏のような読書家は、最近めっきり少なくなったような気がする。著書の数も半端じゃない。こっそりアマゾンで検索してみたら、共著も含めて83点もあった。対象は文学論から、映画論、漫画論まで幅広い。恐るべし。

2月8日(火)
冷たい雨の一日。朝、発送用の梱包材が巨大なダンボールで2箱、ドンと、到着。事務所は本と、未整理の資料や、ゴミの山となっている。収納場所に一苦労(なんとかせねば)。昼食後、急ぎの客注品調達のため、雨の中、徒歩で東京官報の店売へ仕入れに行くも、在庫無く、ガックリ。やむなく取り寄せを依頼して、とぼとぼと帰る。寒い。

2月9日(水)
サッカーW杯のアジア最終予選の北朝鮮戦の日、やはり気になる。店にテレビはない。閉店後、残務を片付けながら、ラジオで観戦(?)。サッカーのラジオ中継は、ポジションの決まっている野球と違って、選手の動きや、細かい状況がほとんど分からない。アナウンサーが叫ぶ、開始早々日本が得点、。ずいぶんあっさりと、と思っていると、さらにアナウンサーが絶叫…、ゴールかと思いきや、無得点、さらに絶叫…、無得点、この繰り返し。解説者は、日本のリズムがおかしいといっているが、どこがどうおかしいのかもよく分からない。テレビで見たいなと思いつつ、前半が終わったところで、店を出る。3−0で日本かな、と思いつつ、家に帰り着くと、試合終了直後だった。「日本劇的勝利」とテレビが沸き立っていた。2−1、意外な結末。一番いいところを見損なってしまった。残念!
主催者は、サポーター間の衝突を極度に恐れていたようだが、北朝鮮のサポーターは、ほとんどが在日の人たちで、日本側が大人の対応をすれば、問題は起こりようがないだろう。観客席に設けられていた空席の緩衝帯が空しく見えた。

2月10日(木)
書店組合に紙袋や、ガムテープなど消耗品を、台車を押して買いに行く。途中数件の取次を回って帰ると、「買ったものを置いていかれましたよ、と組合から電話がありました」と、店番のTさん。またやっちゃいましたねと笑っている。紙袋を台車に積み込んでやれやれと思って、ガムテープとセロテープを忘れてきてしまった。これで2度目、いや、3度目かな? 「私、取りに行ってきます」とのTさんの言葉に甘える。

2月11日(金)
久しぶりの休日。晩飯は私の担当、午後、近くのスーパーに買い物に行く。ついでにCD売り場を覗いたら、かなりのスペースを割いて、韓流コーナーが設けてあった。『冬のソナタ』を始め、話題のTVドラマや映画のCD,DVDがずらりと陳列されていた。東京の外れのこんなところにも韓流の波が押し寄せていたのか、とちょっと驚く。10年前、いや2、3年前ですら想像できなかった光景。おそらく、全国のCDショップにも同じようなコーナーが設けられているのだろう。

2月12日(土)
今日届いた「全国書店新聞」の記事によると、2004年出版販売額は、出版科学研究所調べで、8年ぶりにプラス、前年比0.7%増となったそうだ。販売金額の内訳は書籍が4.1%増の9429億円、雑誌は1.7%減の1兆2998億円で、雑誌は7年連続のマイナス成長が続いているとか。書籍では、『蛇にピアス』、『蹴りたい背中』の芥川賞作品ほか、『世界の中心で、愛をさけぶ』、『冬のソナタ』、『いま、会いにゆきます』、『ハリーポッター』など、ミリオンセラー7点がプラス成長に貢献したと伝えている。新刊点数は7万4587点で2・7%増。
大売れに売れる本と、そうでない本の格差がますます開いていくような気がする。「そうでない本」を主に扱うアジア文庫は、この数字、どこか遠い世界の話のように聞こえる。ミリオンセラーの中で、『冬のソナタ』が唯一、アジア文庫での扱い本。韓流のはしりのころ、少しその恩恵に浴したが。日本中を巻き込んで、これほどの広がりをみせた今となっては、遠い昔の淡い思い出となってしまった。

今年もよろしくお願いいたします
2005年1月2日

あけましておめでとうございます。
というのもはばかれるような大災害が発生してしまった。
昨年は、台風に地震と、さまざまな天災に見舞われた。灼熱の夏に、いつまでも残暑をひきずるような秋、暖冬かと思えば、東京では大晦日の突然の積雪。天も地もどこか狂ったような年でした。追い討ちをかけるように、年末のインドネシア沖の地震は、周辺国を巻き込む大惨事となった。日ごと報じられる死者の数に、その規模の大きさに、ただただ、息を呑み、立ちすくむしかない。今年は平穏であってくれと祈るばかりです。

新年恒例の年間売り上げベスト30を掲載しました。相変わらずタイの人気が際立っている。ベスト30のうちタイ関係の本が19点。ほぼ、三分の二を占める。韓流ブームはアジア文庫では、過去のものになってしまった。韓流はもうマイナーではなくなった。大手出版社が競うように韓国のスターの写真集を発行するようになって、大書店がずらりと平積みを展開するようになっては、アジア文庫は太刀打ちできない。韓流といわれる本は一点もランクインしなかった。
この韓流といわれる動きは、大衆文化のもつ底力のようなものを、確かに感じさせてくれはしたが、ここで韓国に出会った人たちが、アジア文庫の韓国の歴史や文学の棚に手を伸ばしてくれるようになって、初めて本物になるのではないか、負け惜しみでなく、そう思っている。

ほかに、昨年の目立った動きでは、旅関係の文庫本が激減したこと。90年代に急増したバックパッパー向けの紀行書が急減した。小店ではこうした本の売れ行きが急激に落ち込んでいたわけではないので、「なんで?」という思いだった。文庫は、初刷りが2万冊以上と聞いている。万単位の読者がいなければ発行されなくなるということなのだろうか。せいぜい数百という読者を相手にしているアジア文庫とは一桁も二桁も読者層が違うのだろう。
ちなみに、アジア文庫2004年度売り上げトップ、「歩くバンコク」の売り上げ数は310冊でした。

出版界は相変わらず冬の時代が続きそうです。今年も一冊、一冊、アジアの本を丹念に売り続けてまいります。
本年もよろしくお願いいたします。新年は1月4日から平常通り営業いたします。

過去のアジア文庫のレジ裏から(2000年8月〜2004年11月)

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