アジア文庫のレジ裏から (2000年8月〜2004年11月)

新潟地震
2004年11月27日

新潟の地震は、アジア文庫のスタッフの一人も被害の当事者になった。新潟出身のNさんの実家は、家屋の倒壊こそなかったものの、壁の一部が崩れ、家の中は家具が散乱して住める状態ではなくなったそうだ。今は復旧したものの、電気や水道もしばらく止まった。すぐに里帰りを予定していたが、道路が完全に復旧しておらず、余震も続いて、帰ることができたのは地震発生から3週間近く経ってからだった。Nさんの話では、目を覆いたくなるような惨状だったという。家族に怪我などの被害がなかったのがせめてもの救いだった。
この地震の揺れはアジア文庫でも強く感じた。土曜の夕方6時ころだったので、まだ、営業中だった。お客さんも数人いた。最初の揺れで、棚からカセットテープが一本落ちてきた。お客さんはちょっと顔を上げただけで、皆冷静だったが、私は棚から本が落ちてくるのではないかとひやひやしていた。余震も強かった。通常、余震はだんだん弱くなるものだが、今回は、ほとんど同じ強さの揺れが何度も続き、いつまで揺れるんだと、正直、恐怖感も覚えた。東京でこれだけの揺れを感じたのだから、震源地近くでの揺れがどれほどのものだったのか…。後に、報道された被害状況を見て、もし、この地震が東京か、その近辺が震源地だったとしたら、と想像しただけで怖くなってしまう。この過密な一帯で同規模の地震が起きたら、その被害は、新潟を遥かに上回ってしまうだろう。しかも、その可能性はあるという。
それにしても、今年は自然災害がほんとうに多い。10月の台風では、私の九州の田舎の、かつて祖母が住んでいた家に強風で大木が倒れかかり屋根が損壊した。今、誰も住んでいなかったのは幸いだった。子供のころ、夏休みになると、よくこの家で遊んだものだ。弟がメールで送ってくれた無残な家の写真を見て唖然としてしまった。
出版の業界紙に、台風で浸水した書店や、新潟地震で棚が倒れ、本が床一面に散乱している書店の写真が掲載されていた。アジア文庫がこの状態になったとき、果たして立ち直れるだろうか…。今の体力では、復旧は難しいかもしれないな、自然災害の圧倒的な脅威を前にして、そんなちょっと気弱な思いになってしまった。

台風直撃
2004年10月13日

夏は嫌いではないけれど、延々と続く暑さに、今年ほど秋が待ち遠しかった年もなかった。その秋になって、やれやれと思っていると、今度はうんざりするほどの長雨、秋の突き抜けるような青空が恋しい。
おまけに、9日(土)は台風が直撃。この日は、神保町の書店街も、「台風のため休ませていただきます」の張り紙を貼っている店もちらほら見かけた。
アジア文庫は平常通り営業。ところが、午後になって、雨風が強くなってきた。階下の内山書店は3時頃にはシャッターを下ろしてしまった。
土曜日は週のうちで最も来店客の多い曜日なのだが、さすがにこの日は閑散としている。3時過ぎ、外はすさまじい勢いで雨が降っている。風もかなり強くなってきた。お客さんは来ない。4時過ぎ、表に出している看板も気になった。「そろそろウチも閉めようか」と思って、看板をしまいかけているところに、「もう、おしまいですか」と、ずぶ濡れの男性。この暴風雨の中ようこそ、「いえいえ、どうぞ」と入っていただく。帰りの電車が気になったが、この男性に付き合って店に戻る。しばらくすると、また一人、また一人と入ってくる。こうなったら、最後まで付き合いましょう。先の男性は本を買い求めた後、また荒れ狂う嵐の中を帰っていかれた。
結局、閉店したのは、ほぼ定時の7時少し前。店を出たのは8時過ぎ。この時にはもう雨はすっかりあがって、傘も持たずに店を出た。後でTVのニュースで知ったのだが、都心のあちこちで冠水騒動があったようだ。
あのずぶ濡れのお客さんのお蔭で、台風直撃の一日、私はまったく濡れずに帰宅できた。熱いお茶の一杯でも差し上げればよかったと後悔している。

自転車
2004年9月3日

前回お話した新聞配達の経験は、後に、書店業に身を置くようになっても役に立った。
新聞は二百数十軒に配達していたが、250部前後の新聞本紙に、チラシを入れると高さはどのくらいになるかお分かりになるだろうか。チラシは週末に多くなる。日によっては、本紙より厚くなるときもある。これを自転車に積むと、頭より数十センチ高くなる。さらに、積みきれない分を前のカゴに、新聞を縦にして顔の高さくらいまで差せるだけ差し込む。この状態の自転車を軽々と漕げる人はそうはいないと思う。私もそうだった。舗装された平坦な道だけではない。小石がごろごろしている道や、坂道、狭い路地にも入っていかなければならない。最初はフラフラ、ヨロヨロ、二度ほどこけた。配達の順路を教えてくれた先輩は、ラグビー選手のような見事な体格の持ち主で、苦もなく自転車を操っていた。当時の私の体重は55キロ前後で、がりがりに痩せていた。
「これは俺には無理かも」と思い始めたころ、1週間くらい経ったころだっただろうか、突然、コツを体得した。ハンドルでバランスをとろうとすると、どうしてもふらつく。尻で、サドルでバランスをとるようにするとふらつかなくなった。本当に突然だった。「なーんだ」という感じだった。それからは、チラシの多い日でもヘッチャラ、鼻歌交じりで配達できた。
しばらくして、バイクが一台空いて、私にまわってきた。これは楽ちんだった。現在、ベトナムで大活躍のホンダのカブだ。このバイクは実用に徹している。スピードは出ないが、燃費は良くて、力もそこそこ、自転車よりもサドルの位置がかなり低いので乗り降りが楽だった。新聞配達は乗り降りが頻繁だからこれはありがたかった。さらに、新聞の重さをほとんど感じることなく運べるのには感激した。
当時はもちろん思いもしなかったことだが、この新聞配達で鍛えた自転車での重量物運搬の技術は、本の仕入れに大いに役立った。アジア文庫の仕入れは、特に開店当初は、以前紹介したように、神田村の取次をメインにしていた。本は一部の取次を除いて、自分で取りに行かなければならなかった。バイクも考えたが、置き場所がなかったし、一方通行の多い神保町の裏道を走るのには自転車のほうが小回りが利きそうに思えた。それで開店時に、中古の自転車を購入した。運搬用の頑丈なやつで、17000円くらいだった。本をぎっしり詰めた段ボール箱3個くらいは楽に運べたのも、かつての経験の賜物だった。何でもやっておくモンですね。この自転車はブレーキやタイヤなどあちこち交換・修理したが、20年経った今でも現役で活躍くしてくれている。
新聞配達は雨の日は悲惨だ。新聞を濡らさないように気を使う。その上、合羽を着ると、蒸れて暑くてたまらない。雨の日も、雪の日も、強い風の日も休めない新聞配達の方々に改めて感謝!

「アジアさん」と呼ばれて
2004年8月6日

「よみうりさーん、明日からウチにも新聞入れてくれる」、配達の途中、後ろから呼びかけられた。30数年前、わずか半年ほどだったが、住み込みで新聞配達をやっていたころ、私は「読売さん」だった。自分の名前以外で呼ばれたのは、これが初めての経験だったように思う。大新聞を背負って立っているような気がしなくもなかったが、違和感の方が先にたった。第一、私はアンチ・ジャイアンツだ。
生協でアルバイトをしていた時は「生協さん」になった。内山書店に勤めていたころは、「内山さん」と呼ばれた。「内山さん」は、個人名としては自然だけれど、それだけにかえって違和感があった。
所属する組織や、会社の名前に「さん」を付けて、個人を呼ぶのは、たぶん、かなり日本的な慣習なのだろう。
そして今、私は「アジアさん」と呼ばれるようになった。「アジア文庫さん」とも呼ばれるが、「あじあぶんこさん」は、呼びにくいようで、「ぶんこ」は省略されることのほうが多い。「アジア文庫」は自分でつけた名前だから、「アジアさん」と呼ばれても誰にも文句は言えないのだが、名前として呼ばれると、言葉の印象が大きすぎてなんとも面映い。
店舗を見つけて、契約、棚の手配も終わって、そうか看板も必要だ、となって、名前をまだ決めていなかったことに気づいた。簡単に「アジア書房」でいいか、と考えていたら、「アジア書房」はすでに存在することを知ってあせった。できれば、「アジア」を入れて、アジア専門ということがすぐに分かるような店名にしたかった。
「アジア書店」ではおさまりが悪い。「アジア・ブックス」は、タイにある。「アジア・ブックセンター」では、印象が大きすぎる…。なかなか、これ、というのを思いつかなくて、看板発注のタイムリミットがせまってきていた。行き詰って、手元にあった書店名簿をパラパラとめくっていたら、「○○文庫」という店名が目にとまった。「ぶんこ…」、「…文庫」、「アジアぶんこ…、アジア文庫!」、「そうか文庫があったか!」、思わずハタと膝を打つ、というのはこういう状況だろう。
「アジア文庫」は、響きもそこそこ、語呂も悪くない。イメージも小さめで、我ながら気に入った。ひとつ気になったのは、図書館と間違えられないかという点だった。文庫といえば、「大宅壮一文庫」や、「東洋文庫」、あるいは、よく地域のお母さんたちがボランティアでやっている「○○子ども文庫」といった印象が強いから、アジアの専門図書館と思われるのではないかと心配した。実際、「そちらは自由に本が見られるのでしょうか?」とか、「本は買えますか?」といった電話がかかってきたことが何度かあった。でも、心配したほどの勘違いはそれほど多くはなかった。

前川さんおめでとう、と、まったく関係ないけど「常備寄託」
2004年7月27日

吉報です。当サイト連載「アジア雑語林」の著者、前川健一さんが「東南アジアにおける民衆の生活文化理解に果たした業績」に対して、今年度の大同生命地域研究特別賞受賞を受賞されました。
アカデミックな研究者の視点からは見過ごされていたアジアの日常生活を、地道に観察してきた前川さんの業績が評価されて私も嬉しい。おめでとうございます。
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出版界だけの独特な取引形態に、「常備寄託」という制度がある。通常1年間、出版社から本を預かって販売するというシステムだ。多くは出版社でテーマごとに20〜30冊の本を組み合わせていくつかのセットを作る。書店はそのなかから自店に必要と思われるセットを選ぶというのが一般的だ。出版社の選んだセット物はイヤだ、もっと自由に選ばせて、というアジア文庫のようなわがままな書店のために、書店が欲しい本を自由に選ぶことのできる選択常備を認めている出版社も多い。
常備寄託で預かった本は、無償で1年間店頭に並べる事ができる。この間に売れた本は、通常の注文と同様に、取次を通して注文、補充分(売れた分)だけを支払うということになる。書店にとっては、在庫の資金負担がなく、出版社にとっては、自社の本を書店店頭に並べてもらえ、読者の目に触れる機会が増えるというメリットがある。
常備寄託も取次を経由しての取引なので、取次に取引口座(帳合)を開いてもらわなければ利用はできない。アジア文庫は開店当初、取次に口座を開いてもらえなかったので、資金負担のない常備寄託を利用できそうもなかった。ただ、限られた開店資金のなかでやりくりしていくためには、なんとかこの制度を利用したかった。
神田村の取次の中で、もっとも品揃えが豊富で、アジア関係の本を多く出している出版社との取引も多い鈴木書店に、「なんとかならないでしょうか」と話をもちかけた。最初はいい返事をもらえなかったが、こちらも必死だった。断られたら充分な品揃えが出来そうもない。
結果、「やってあげましょう」という返事がもらえた。ただ、無条件ではなかった。「取引額の半分の信任金を入れてください」という条件付きだった。
この信任金というのも厄介なやつで、無利子で取次に預けなければならない。不動産があれば、それを根抵当に入れることも可能だが、なければ現金を入れなければならない。当時の私は、四畳半の借家住まい。なけなしの現金を無利子で預けなければならなかった。とはいえ、仕入れの資金負担は幾分軽くなった。
開店後の補充や、新刊の調達もこの鈴木書店にはずいぶんお世話になった。取次はどこも、店売(てんばい)という書店が自由に出入りできる倉庫を持っている。書店のための書店といったおもむきの棚には、出版社ごとに、書名のあいうえお順で、本が整然と並べられている。読者が書店で本を手にとって選ぶように、新刊を手にして仕入れ部数や、仕入れの可否を選択できるという点でも嬉しい存在だ。鈴木書店はこの店売が特に充実していた。この店売に在庫があれば、注文品は、取りに行けば当日でも調達できた。
ただ、以前、当欄でも紹介したように、 鈴木書店は2001年12月に倒産した。同社は人文社会科学系の出版社の本を扱い、大学生協を主な納入先にしていた。同社の倒産の背景は様々に語られているが、私には出版の曲がり角を象徴するできごとであったように思えてならない。
鈴木書店がなくなって、仕入れはずいぶん不便になった。「この本、以前だったら、鈴木ですぐに手に入ったのに…」と思うことがよくある。

「クロカル」騒動
2004年6月24日

何年ぶりだろう、先週は久しぶりにてんてこ舞いの一週間だった。
日本人とタイ人の習慣や行動様式、考え方の違いを分かりやすく解説した「日本 クロスカルチャー タイ」が、6月13日の読売新聞の日曜版に紹介された。騒動はここから始まった。
本書はバンコクの泰日経済技術振興協会が発行した本で、日本国内では、アジア文庫でしか発売していない。記事にはアジア文庫の名前も連絡先も掲載されていないのだが、読者が読売新聞社へ問い合わせて、読売新聞社が国内の発売先として小店を紹介してくれたようだ。ネットで検索した人も多かったようで、日曜日の午前中からネットでの注文が入り始め、その数がどんどん増えていく。明けて月曜日、店に行くと、電話が頻繁にかかってくる。ほとんどが「日本 クロスカルチャー タイ」の問い合わせだった。読者が最寄の書店にも問い合わせたようで、書店からも電話がかかってくる。「日本 クロスカルチャー タイ」のタイトルをきちんと書くのもまどろっこしくなって、受注用紙はいつの間にか「クロカル」に短縮されていった。
本書は、見本を見たとき、売れそうな予感がしていたので、かなり思い切った数を仕入れていたが、このペースでいくと一週間も持たずに在庫を切らしてしまいそうだ。なんとか一週間で入荷してくれと祈りつつ、慌てて追加注文を出す。協会からは、「出荷しました」との連絡がすぐにあった。
通関にかけられなければ間に合うはずなのだが、かかってしまった。この通関、どういう基準で選別しているのか皆目分からない。担当官の気分しだいなのか、同じ本でもすんなり入ってくることもあれば、通関にまわされてしまうこともある。運送会社に電話して、「怪しい本」ではないからすぐに入れて欲しいと依頼する。
予想は当たった、19日(土)に在庫が無くなった。いらいらしながら待ち続けていたが、やっと21日(月)になって、無事入荷した。
さすがに、今週になって注文は少し落ち着いてきたが、心地よい騒動だった。
こんな景気のいい話をしたのも、ずいぶん久しぶりのような気がする。願わくは、これを機に、他の本も景気よく売れてくれ!

記者とお父さん
2004年6月14日

6月10日の東京新聞朝刊に「『アジア文庫』が20周年」の見出しで紹介記事が掲載されました。見逃した方はこちらを
この記事の取材に見えた吉岡逸夫さんは、イラク戦争勃発後の昨年7月、奥さんと小学2年生(当時)の娘とともにイラクを訪れた経歴の持ち主。当時、「子連れでイラクを訪れるとは…」と、“良識ある人々”から大ひんしゅくをかった新聞記者です。この時の体験談が「イラクりょこう日記―家族ですごした『戦場』の夏休み」(エクスナレッジ 1500円)にまとめられています。他に「イスラム銭湯記―お風呂から眺めたアフガン、NY、イラク戦争」(現代人文社 1600円)、「なぜ記者は戦場に行くのか―現場からのメディアリテラシー」(現代人文社 1500円)など多くの著書もあります。なかなかユニークな方で、時間が許せば逆取材をしてみたくなりました。吉岡さんのホームページはこちら

新聞記者のお父さんと言うと、佐世保の事件を思い出してしまう。事件後、朝刊に公開されたお父さん・恭二さんの手記を通勤の電車の中で読んでいて、思わず落涙しそうになった。最も共感しあえる配偶者はすでになく、憎むべき犯人は娘と同級生だった。気持ちをどこに持っていけばいいのか、現実を認めたくないだろうし、認められないだろう。私ならとても耐えられないだろうと思う。
それにしても、最近、思考回路の切れたような事件があまりにも多いような気がする。詳細は知るすべもないが、今回の事件も、チャットのやりとりが直接の動機だったと伝えられている。子どもとはいえ、総合的な判断力が働くなってしまっているのだろうか。
私はチャットは、覗いたこともないけれど、以前、サッカーの日韓W杯の時、たまたま、あるネットの掲示板を開いてしまい、あまりにも露骨に韓国を罵倒している内容に唖然としたことがある。匿名での無責任な発言は、本心がむき出しになってしまうのだろう。読むに耐えない書き込みに、不快な思いしか残らず、以来、どのような掲示板も見る気がしなくなってしまった。意見を公言するときは、少なくとも発言者の所在は明らかにすべきだろう、と思う私は時代遅れなのだろうか。

神田村
2004年5月25日

5月14日、めこんの桑原さんや、前川健一さんが呼びかけ人になって、アジア文庫20周年記念のパーティーを催していただいた。参加した方からたくさんの「おめでとう」の言葉を浴びて、花束までもらって、改めて「20年も続いたんだ、よくぞここまで」という思いに浸りました。参加していただいた皆さんと、幹事役を務めてくださった桑原さん、前川さん、福田さんにお礼を申し上げます。ありがとうございました。

その20年前に話を戻します。
店舗の契約を済ませて、次にやらなければならないことは、本の仕入れだが、これも難航した。
本を仕入れるためには、取次といわれる本の卸会社と取引をしてもらわなければならない。取次には書店相談課という部署があって、新規取引の窓口になっている。ところが、ここが「うん」と言ってくれない。大手の取次は話だけは聞いてくれたが、取引は丁重に「お断り」だった。ご丁寧に、「そんな(無謀な)ことを考えるより、どこかの書店に勤めたほうがいいんじゃないですか」との忠告までいただいた。
取次は、実質的にトーハン、日販の二社が寡占状態にある。この二社で出版流通の7割から8割を占めているといわれている。その下に、かなり規模が小さくなって中規模の取次が数社あって、さらにもっと規模の小さい取次が数十社ある。
その中小取次が、神保町には、30社近く存在する。主に、すずらん通りの南側に、取次が集中している地域がある。この一画を業界では「神田村」と呼んでいる。
この区画は、最近、再開発され、20数階建ての見上げると首が痛くなるようなビルが3棟建てられ、町の景観が一変してしまった。アジア文庫の南側の窓からは空が見えなくなってしまった。以前は小さいビルが無秩序にひしめきあっていたのだが、200メートル四方もあっただろうか、見慣れたすべての建物が取り壊され、整地されていく様は、見ていて愉快なものではなかった。現在、神田村の取次も移転や廃業で、様相がずいぶん変わってしまった。
神田村の取次は、それぞれ専門店的な個性を持っているところが多く、取り扱い出版社が、人文・社会科学系、理工書系、新聞社系、といったように色分けされている、旅行ガイド・地図専門というところもある。
大手の取次に相手にしてもらえなかったけれど、神保町の立地は仕入れに関しても恵まれていた。結局、アジア文庫の開店時の仕入れは、神田村の取次を大いに利用させてもらうことになった。

物件探し
2004年4月30日

自分で書店をやってみたいとは思っていたが、どうしてもアジア専門店を、というわけではなかった。どこにでもある普通の本屋でもよかった。
実際、そのつもりで、一年近く店舗を探してあちこちの駅前を歩き回った。いくつか、ここならば、という空き店舗は見つかったが、どこも駅前の一等地に、既に営業している書店があった。対抗するためには、もっと大きな規模の店舗でなければ営業は困難だろうということは、はっきりしていた。結局、資金もない個人が新たに書店を始めるのは、不可能に近いということが分かってきた。
次第にあきらめの気持ちになりかけていた。と同時に、もしかして専門店ならばそんなに大きな規模でなくてもやっていけるのではないか、という思いが強くなってきた。専門店をやるなら、アジア、場所は神田神保町しかないだろう。
このころには、内山書店にいたころに抱いていた、「なぜ中国、韓国以外のアジア専門店がないのだろう」、という漠然とした疑問が、「できるものならやってみたい」という思いに成熟していた。
それまで郊外ばかりをまわっていたのだが、気分転換も兼ねて、久しぶりに神保町に出かけた。郊外をこれだけ探しても見つからなかったのだから、神保町で、おいそれと見つかるわけがないだろうと、悲観的な思いのまま、靖国通りを、九段下から神保町に向かって歩いた。内山書店に勤めていたころは、4年間、毎日通った道だった。神保町は変わっていなかった。この街に来ると、なぜかホッとする。でも、この一年でキョロキョロと「物件」を探すのが習い性になっていた。専修大学前の交差点を過ぎて、見慣れた古書店の並びの一区画が終わろうとする少し手前、神保町の交差点近くまできた時、小さなビルの2階の窓に貼られた、「空室」の文字が目に飛び込んできた。靖国通りに面した神保町交差点脇の一等地、古書街のど真ん中だ。隣は読書家の間では知らない人がいないだろう、岩波書店の本を専門に扱う信山社。地下鉄神保町駅から徒歩1分もかからない場所だった。2階だけれども、こんな場所が空いてるなんて、一瞬、信じられなかった。
「ここならば…」、胸が高鳴った。張り紙の下に書いてあった不動産屋の電話番号を控えて、近くにあった赤電話からすぐに電話をかけた。高いだろうな、そんな思いが頭をかすめた。
不動産屋の提示した条件は、「10坪で、家賃は13万、保証金はあの場所ですから、ちょっと高いですよ…」、ドキッとした。1000万といわれたらアウトだ。「…450万です」、坪あたり45万円、確かにちょっと高い、でも、家賃は手ごろだ。すぐに中を見せてほしいと依頼した。
10坪は本屋には狭い。でも、ここから始めればいい、そう思った。詰めれば、5千冊は置けるだろう。狭く急な階段を上がって、入り口の左に小さな流しとトイレ、エレベーターも空調設備もないが、充分だ、中を見て即決した。
実質的に、この日にアジア文庫は誕生したと言ってもいいかもしれない。この日に、あの空物件を見つけていなければ、アジア文庫はたぶん、なっかただろう。
とはいえ、私には450万円もの大金の持ち合わせはなかった。もちろん、不動産もない。金融機関は相手にしてくれないだろう。頼れるのは父しかいなかった。これまで、大学を一回、会社を二回、親にはすべて事後承諾で辞めていた。さんざん親不孝をしていた。いまさら、とも思ったが、気がついたら父に電話をかけていた。出来損ないの息子が初めて本気でやる気になったことを見込んでくれたのか、父は何も言わずに金を振り込んでくれた。失敗はできないと思った。

内税表記
2004年4月16日

初めて消費税が導入された1989年、出版界は、税込価格が定価であるとして、総額表示を採用した。そのため、それまでの本体価格のみを表示した本の流通ができなくなった。出版社はカバーを刷り直すか、税込価格のシールを貼らなければならなくなった。その経費負担に見合わないと判断された少なからぬ点数の本は、断裁され、絶版になった。いずれ、税額は上げられるだろうに、なぜこんな無駄なことをするのか、税額が変わるたびに、無駄な労力と、費用と、絶版本が発生することになるのは目に見えていた。
1997年、やはり税額は5%に引き上げられた。また、業界内で一悶着あったが、さすがに、懲りたのか、表示価格は、本体価格のみでいいということに落ち着いた。やれやれ、と思っていたところに、今回の法令改正だ。
本の寿命は長い。大手出版社の本は、半年か、一年で品切れになってしまう本も多いが、大半の本は、何年もかけて初刷を売っている。特に、学術書や、中小の出版社の本は、こつこつと少部数を、時間をかけて売っていく本がほとんどだろう。アジア文庫の棚を見回してもそういった本が大部分を占めている。
実際、今でも、3%の内税表記の本が入荷してくる。数は少ないが、3%税込価格のシールを貼ったままの本もある。シールの糊が劣化して剥がれかけたものもある。シールを貼ってあるということは、1989年以前に発行された本ということになる。10年以上も前に刷られた本が、今も流通しているのだ。
消費税の表記で、お客さんからクレームがあることはほとんどないが、唯一、この3%税込価格表記に関しては、戸惑う人がいる。「P1,545E 定価1,545円(本体1,500円)」と表記のある本は、「P」が3%の税込み価格を意味しているのだが、出版界が「¥」と区別して、勝手に考えた表記だから、一般には理解されていないだろう。レジで、「1,575円になります」と告げると、「えっ、1,545円じゃないの?」と言われることが、今でもある。
本を内税表示にすると、税率が変わるたびに、こうした混乱をまねくことは目に見えている。出版界のお偉いさんたちもやっとそのことを理解したのか、当局の了解を取り付けて、なんとか本のカバーには税込価格の表示は見逃してもらった。
今回の改正では、本の価格表示は、カバー表紙は「定価○○円+税」の表記のまま、「スリップ」に総額表示をすれば良いということになった。
「スリップ」をご存知だろうか。本を買うとき、レジで、書店員が本に挟まれた小さい短冊を抜くのに気づかれた人もいるでしょう、あの短冊を業界用語で「スリップ」と言う。「スリップ」は注文票としても使えるし、売り上げの控えにもなる。出版社によっては報奨券になっているものもあって、返送すると若干のバックマージンがもらえるものもある。アジア文庫では「ベスト10」の集計にも使っている。本来、業務用のツールなので、ここに定価表示があっても、読者は気づかないのではないだろうか。現実問題としてあまり意味がないように思うのだが、とりあえず、税額が変わってもスリップを代えるだけで対応できる体制にはなった。
税額表示に関して、アジア文庫の棚は、混乱の極みに達している。出版社が発行した本は、まだ一貫性はあるが、それでも、3%税込表示、外税表記、内税表記が混在する。さらに自費出版や、各種団体・組織が作成した出版物や、雑誌、パンフ類も受け入れているが、こうした印刷物は、税のことは念頭においていないものも多く、表示はまちまち、価格表示がなくて、鉛筆で書き込んだものもある。輸入書は本体価格のシールを貼っただけのものがまだ大半だ。不本意ながら、手作業でスリップに税込み価格を書き込んでいるが、この作業がいつ終わるのか検討もつかない。ホームページも書き換えなければならないが、掲載している本は、2000点を超えている。これも一点ずつ、すべて手作業になる。考えただけで気が遠くなる。以前、日本経団連だったか、消費税率を毎年1%ずつ引き上げて16%で据え置くといった案を提唱していたが、万が一、そんなことになったら、対応は不可能、さまざまな税込価格が店頭に混在することになる。
といったわけで、しばらく価格表示に関しては、混乱が続きますが、ご容赦ください。ただ、本体価格さえきちんと表示していれば、レジで混乱することはないという点では、これまでと同様です。店舗でも、サイトでも、本体価格は必ず表示するようにします。

痛税感
2004年4月11日

4月1日から、消費税の総額表示が義務づけられた。これまで、店舗も、サイトも価格表示は、本体価格のみだった。これでなんの不都合もなかった。いま、なぜ総額表示にしなければならないのか。消費者にとって便利だから、というのが、第一の理由のようだが、本当にそうなのだろうか。将来の税率引き上げをもくろんで、痛税感を和らげることが第一義の理由に思えてならない。
納税に関して最も懐柔されているのはサラリーマンだろう。私はサラリーマンを辞めて、個人事業者になったとき、税を納める痛みを初めて味わった。給料を貰っていた時は、税金や社会保障料のことは、あまり意識したことがなかった。源泉徴収をされていると、税を納めているという意識があまり働かない。個人事業者となって、申告・納税の際、わずかばかりの金額だが、いったん自分の懐に入ったものから払わなければならない。これはかなりこたえる。その痛みを味わうと、納めた税金の行方が気になる。きちんと使ってくれよ、という思いが強くなる。道路工事の現場に出くわすと、「俺の税金は、あのショベルカーの、ひとかき分の燃料くらいにはなるのかな」、などというケチな思いが頭をよぎったりする。ひとりの納税者が思ったところでどうなるものでもないが、この思いが一千万、二千万人という数になれば、使う方も勝手なマネはできないだろう。
その意味では、サラリーマンも直接、申告・納税にすべきだと思う。稼いだ給料はすべて会社から払ってもらう。税金は年に一度、各自で計算して、直接税務署に納付する。そうすれば、サラリーマンも税の使途に無頓着ではいられなくなるだろう。税の捕捉率云々の不公平感もなくなる。全国何千万人かは知らないが、納税者の大半を占めるすべてのサラリーマンがこの痛税感を味わえば、世の中もうちょっとマシになるような気がするのだが…。
税に関しては、サラリーマンは恵まれているなと、これも初めて個人事業者として納税する時に感じた。給与所得者は、基礎控除として給与所得控除が認められている。この控除額がばかにならない。その控除が自営業者にはない。さらに、年金や、健康保険は会社が半額を負担してくれる。私自身がそうだったが、そのことを自覚しているサラリーマンは少ないのではないだろうか。この件に関してだけは、自営業者になったことを少しだけ後悔した。
今回の消費税の内税表示の法制化は、サラリーマンの源泉徴収と同様、消費者から税負担を隠す意味合いが強い、愚民政策に思えてならない。
さらに、税の表示変更を迫られた事業者は、余計な労力や、費用の負担を強いられている。

なぜアジアなのか
2004年3月25日


ものめずらしさも手伝ってか、アジア文庫は開店当初から、新聞、雑誌から、テレビやラジオまで、ずいぶんマスメディアに取り上げられた。広告宣伝費もままならない身にとっては、大変ありがたかったが、ひとつだけ困った事があった。
取材の際、記者から必ず聞かれたのが、「なぜ、アジア専門書店を始めたのか? なぜ、アジアなのか?」という質問、これには困った。「アジアというからには、それなりの深遠で、高尚な動機があるはずだ」、という言外の圧力を感じて、答えに詰まった。
当時の一般的な(良心的)アジア観からすれば、たとえば、こんな答えを期待されているだろうことは分かった。
「歴史的、経済的に日本はアジアと深く関わりながら、関心は欧米に向いている。日本が加害的な立場に立つことも多かったアジアにもっと眼をむけるべきだ」、あるいは、「貧困や後れている、といったマイナスイメージの強いアジアの実態を私たちは知らなさ過ぎる。欧米一辺倒の価値観からは見えてこないアジアがあるはずだ」
と、まあ、こういった答えを堂々と唱えられれば、記者の方々も記事を書きやすかったのだろうなとは思う。でも、実際は 「いや、なんとなく」とか、「成り行きで」とか、「いつのまにかこうなっていた」とか、もぞもぞと、訳の分からない返答でごまかしてきた。
当初、アジア専門店=志の書店、と思われることが多かった。でも、私は啓蒙活動をやるつもりはさらさらなかった。純粋に商売としてやっていくつもりだった。だから、アジアの本を求める人は、多数ではないかもしれないが、小さな書店を維持していく程度には存在する、と思っていた。需要はある、読者は既に"存在すると思っていた。需要を創る、アジアへの関心を広げていく、といった大それたことは考えもしなかった。
アジア文庫を始めて気が付いたことだが、アジアに関心がある人は、ほんのちょっとしたきっかけで、それまで無関心だったアジアにとりつかれた人たちが多いように思う。
たまたま、友達に誘われて行ったバリにはまってしまったとか、たまたま、留学生と知り合ってとか、たまたま、アジアに赴任してとか、たまたま、食べたタイ料理に魅せられて、といった、「たまたま」の出会いが運のつき、でアジアに足を踏み入れた人が多い。
韓国語が堪能な女優の黒田福美さんの韓国との出会いも「たまたま」だった。男子バレーボールの国際試合を見ていて、ある韓国人選手に一目ぼれ、それまで人が住んでいるとも思わなかった韓国に、にわかに興味を覚えていったと、『ソウル マイハート』(講談社文庫)で語っている。
私の「たまたま」は、友人に誘われて中国書の専門店、内山書店に勤めたことだった。それ以前はアジアにまったく関心がなかった。

整理整頓とお詫び
2004年3月15日

私は整理整頓がまるでだめだ。スタッフが仕事をする机の周辺はいつもきれいに片付いているのだが、私の机の周囲2メートル四方は、本と書類とゴミの山に囲まれてしまっている。そのため、あれがない、これがないといつも探し物をすることに余計な時間を費やしてしまう。これではイカンと、年に何度か片付けを決意するのだが、その作業中に、「オヤ、こんなものが」とか、「アレ、これはなんだ」とか、忘れていた面白いもの、怪しいものを見つけてしまう、と、つい読みふけってしまい、そこで作業が中断してしまう。結局、時間切れで元の木阿弥となる。
先日、取次の新刊案内のリストをチェックしていたら、「気がつくと机がぐちゃぐちゃになっているあなたへ」(草思社)に赤丸を付けて、「大野さん用」と書き込みがあった。いつも私の机の周辺を、白い目で見ているスタッフTの仕業だ。確かに、彼女の机周りは、見事に整理されている。なんでこんなに片付けることができるのか、私には信じられない。で、彼女の整理術をそれとなく観察することにした。
分かりました。なぜ、私の机の周辺がぐちゃぐちゃになってしまうのか。Tは、これはいらないという判断が実に早い。「えっ、それはとっておいたほうがいいんじゃないの」と、私が思うような物も、潔くゴミ箱にポイっと捨てる。必要最小限の物しか残さない。私は優柔不断だ。これはいつか役に立つ、これは後で判断しよう、これは後で読もう、などとなかなか物を捨てられない。この差が、ちりも積もれば…で、山となる。
そして、ついに私の悪癖が、一番やってはいけない結果を引き起こしてしまった。前川さんの「アジア雑語林」の原稿をなくしてしまいました。前川さんはいつも「アジア雑語林」の原稿を数回分をまとめて送ってくれるのだが、先日、これも追加でと、一回分の原稿を封書でいただいた。後でスキャナで読み取ろうと、机の引き出しにしまったところまでは覚えているのだが、いくら探してもない。多分、引き出しも一杯になっていたから、隙間から落ちて、下に置いてあったゴミ箱に入ってしまったのではないかと思うのだが…。一縷の望みを託して前川さんに電話をしたが、前川さんの手元にも控えが残っていないそうです。「アジア雑語林」は、当サイトの中でもアクセス数の多い人気ページです。
前川さんと、「アジア雑語林」を楽しみにしていただいている方に深くお詫び申し上げます。
以後、心を入れ替えて整理整頓に努めるようにいたします。

中国図書
2004年3月3日

アジア文庫は中国関係の本を扱っていない。"アジア専門店"と謳いながら、中国を扱わないのは看板に偽りあり、と言われても仕方ないが、中国を除いたのは、三つの理由がある。
中国書を扱う専門書店は、すでに、多数存在している、というのが一つめの理由。都内だけでも、内山書店、東方書店、亜東書店、燎原書店、中華書店などがあり、大阪には東方書店の支店、京都には朋友書店、福岡には北九州中国書店がある。いずれの店も、アジア文庫創業以前から存在する。中国の本を専門にする書店を、新たに作る必要性を感じなかったからというのが大きい。
文化的にも、歴史的にも、中国が日本にもたらした影響力は、他の国に比べて格段に大きい。中国に関心を持つ人の数も必然的に多くなり、関係する本の数も多くなる。研究者の数も、他のアジアを専門とする研究者を圧倒している。たとえば、それぞれ学会の性格が違うので、少し乱暴な比較かもしれないが、日本中国学会の会員数は約2000人、朝鮮史研究会は約400人、東南アジア史学会は約600人。朝鮮史研究会と、東南アジア史学会を合わせても、日本中国学会の半分にしかならない。中国に関する学会はほかにもいくつかある。中国はまた、古典の宝庫でもある。「史記」、「十八史略」、「論語」、「老子」、「漢書」、「後漢書」、「三国志」………、例を挙げればきりがない。これら古典に関連する解説書や、研究書も数限りなくある。さらに、歴史、文化、社会、文学、語学、さまざまなジャンルでも本の点数は、他のアジアの国々を圧倒している。
中国書も揃えて、アジアの総合書店を作ろうとすると、少なくとも、現在の3倍以上の店舗面積が必要になるだろう。物理的にも、資金的にも無理だった、というのがふたつめの理由。
三つめは、一つめの理由とも重なるが、私が中国書の専門店の内山書店に勤めていたからということがある。勤め始めてしばらくして、中国専門店はこんなに多くあるのに、他のアジアを専門とする店はなぜないのだろう、という疑問が湧いてきた。その時は、まさか自分でやろうなんてことは、思いもしなかったが、いま思うと、その疑問がアジア文庫誕生の契機となったのは間違いない。だから、いざ始めるぞ!となったとき、中国以外のアジア、となったのは、私の中では自然な成り行きだった。
韓国・朝鮮の本についても少し説明しておかなければならないかもしれない。韓国の専門店は、高麗書林や、三中堂が当時もあった。それにもかかわらず、韓国・朝鮮を含めたのは、中国ほどの出版点数がなかったことと、専門店の数が少なかったということもあるが、私が勤めていた内山書店は、当時、韓国・朝鮮関係の本を少し扱っていた。その経験から、読者の存在がある程度予測できた、ということがある。東南アジアを初めとする他の国については、読者層がどれほどいるのか、まるで分からなかった。まさに、無謀な企みだったのだが、私にとって韓国・朝鮮の本は気心の知れた安心材料だった。

五十肩
2004年2月24日

一昨日の夜、ホームページの更新を済ませて、さあ寝ようかなと思って、椅子から立ち上がったら、突然肩が痛み始めた。右腕を上げようとすると痛みで肩より上にあがらない。他人事だと思っていたが、これが世間で言われるところの「五十肩」というものだろうか。昨日、店に出て、本を頭より上の棚に入れようとするとひどく痛む。これは困った。本屋にとって、肩が使えないのでは、仕事にならない。幸い、左肩はなんともないので、左手でできることは左手で済ませたが、私は右が利き腕なので、なんともまどろっこしい。痛くなってみて、肩がこれほど仕事にも、日常生活にも重要だったのかと気づいた。聞くところによると、「五十肩」はすぐには直らないそうだ。これが一番良くないのかもしれないと思いつつ、今も、うずく肩を気にしながらキーボードをたたいている。
老眼はすでに40歳を少し越えたころに自覚した。ある時、本を読んでいて、細かい活字で書かれた文字が読み取れない。私は近視のメガネをかけているが、メガネを外すと読める。しばらくそれが老眼の初期症状だとは気がつかなかった。なぜ読めないような文字を使うのだ、とその本の編集者に腹を立てていた。やがて、辞書や、しばらくすると新聞までも読みづらくなってきた。認めたくはなかったが、読めないのだから、認めざるを得ない。老化現象は、仕方がない。上手に付き合っていくしかない。若いと思っている皆さんも、そのときになって慌てないように、しっかり覚悟をしておきましょう。
零細書店にとって、体は資本だ。体を壊すと万事休すだ。私は開店以来、二度入院した経験がある。一度は開店4年目に盲腸になった。正月だった。胃のあたりがきりきりと痛みだし、間歇的な痛みが、やがて持続的な痛みになり、眠ることもできないほどの激痛に変わった。正月で病院は休み。一晩苦痛に耐え、翌日病院に駆け込んだ。先生は、触診するなり「あんた、これは盲腸だよ」、「えっ」。最初、痛みだしたのは胃のあたりだったから、盲腸と聞いて「えっ」となった。確かにじわじわと痛みは下がってきたような気がするが、もはや痛みの源を自分で特定できないところまできていた。即日入院、数時間後には手術室にいた。盲腸は破裂寸前だったそうだ。この時は、まだ、アジア文庫は私一人で営業をしていたから、退院するまで休業せざるをえなかった。
二度目は、40歳も半ばを超えてから、突然、喘息になった。これも、初めは何が起きたのか自分では分からなかった。とにかく呼吸が苦しい。吸うのも、吐くのも思い通りにならない。体を横にすると呼吸が止まりそうになる。横になって寝ることもできない。何だこれは。もしかしてこのまま呼吸が止まってしまうのかとも思った。トイレに行くのも這っていくような状態になった。近くの病院に行くと、「喘息ですね」との診断。またもや「えっ」だった。喘息は子供の病気だと思っていた。喘息は、何度も発作を繰り返す。そのたびに、数日店を休まなければならなくなった。幸いそのころは、複数の従業員がいたので、店の営業は続けることができたが、私がいないことで、その分の負担が彼らにかかるようになる。
何度か発作を繰り返しているうちに、薬では収まらなくなった。「入院したほうがいいですね」という医師の言葉に素直に従った。入院中はひたすら点滴の毎日だった。入院していた10日間、針先は腕に刺したままだった。私の場合は、退院後もしばらく続けるようにと処方された吸入ステロイドが劇的に利いたようだ。それ以降、嘘のように発作がでなくなった。体調も変わったのか、その入院以降、体重も劇的に増えた。
本が売れなくても、何がなくても、やっぱり健康が一番です。皆様もご自愛のほどを。

図書リスト
2004年2月12日

開店に先立って最も時間をとられたのは、目録から本を拾い集める作業だった。今なら、インターネットを使って比較的簡単に情報を集めることもできるが、当時は、インターネットのイの字もない時代。目録を1ページずつめくっていくしかなかった。一番役に立ったのが、「日本書籍総目録」(日本書籍出版協会編 出版ニュース社)だった。私が手に入れたのは、1982年度版で、上下巻のこの目録は、重ねると厚さが20センチほどになる。その年までに刊行され、品切れ、絶版を除いた、編集時点で流通している本が掲載されていた。掲載図書は約40万点。この目録を、手の空いている友人にも手伝ってもらって、最初のページから最後まで、カードを作りながら、全てチェックした。この目録の刊行以降に出版された本は、同じく、出版ニュース社から出ている「出版ニュース」(旬刊)という雑誌で補った。幸い、以前勤めていた書店に、バックナンバーが保管してあり、貸してもらえた。
この雑誌は、図書館や、出版社、書店向けの出版情報誌で、巻末に国会図書館に収められた新刊書の目録が掲載されている。「出版ニュース」は、本が刊行されてから掲載されるまで、2〜3ヶ月のタイムラグがあるが、国内の出版社から発行されたほぼすべての本が網羅されている。今ならネットでほぼ発売日に新刊書が把握できるが、当時は同誌が唯一の網羅的な新刊情報誌だった。
並行して、アジアの本を多く出していそうな出版社の目録を取り寄せて参照した。これは出版社に電話をすると無料で送ってもらえる。思いつくままに挙げてみると、アジア経済研究所、勁草書房、岩波書店、青木書店、三一書房、東京大学出版会、大学書林、みすず書房、未来社、社会評論社、三修社、白水社、凱風社、梨の木舎、創文社など、20〜30社。
こうして並べてみると、いずれも人文・社会科学系の硬派の出版社ばかりだということに気づく。現在、たとえば、アジア文庫の売り上げ上位の常連、双葉社や、情報センター出版局などは、当時ほとんどアジア関係の本を出していなかった。

電話
2004年1月28日

10年くらい前だっただろうか、まだ今ほど携帯電話が普及していないころ、電車の中で、中年太りの男がこれ見よがしに、車両中に響き渡るような大声で携帯電話で話していた。本人は得意げだったが、周りの乗客は眉をひそめていたし、はっきりいってひどく醜かった。
5年くらい前、やはり電車の中、隣に座ったホストクラブ帰りらしき若い女から、延々とひいきのホストの話を聞かされた。
2年くらい前、神保町の歩道の真中で、口汚く電話の相手を罵っている男がいた。
ひと月ほど前、夜、帰り道、若い男の「ギャハハハー」という下卑た笑い声がずっと後をつけてくる。
いやな思いを数え上げればきりがない。携帯電話は、便利な道具だとは思うが、プライバシーを公然と突きつけられるのは勘弁して欲しい。と、いまだに携帯電話を持たない中年男は思います。
で、携帯電話の普及する遥か以前、アジア文庫創業期に戻ります。

当時私が住んでいたのは、西武新宿線沿線の、学生時代から7年間住み続けた4畳半の下宿だった。日当たりは抜群によかったが、クーラーなどあろうはずもなく、カタコトと音を立てて回る扇風機が一台、夏は暑くてたまらなかった。もっとも、昼間はほとんど下宿にはいなかったが。トイレは共同で、風呂はもちろんなく、部屋の入口に半間ほどの流しとガスコンロが付いていた。インスタントラーメンを作るには至極便利だった。家賃は小刻みに上がったが、1983年現在で、1万7千円。電話も共同、ただし、受信専用。電話がかかってくると、1階に住む大家さんが、階段の下から「アッ、おーのっさ〜ん、おでんわですよー」と、大声で名前を叫んで取り次いでくれた。なぜか名前の前に必ず「アッ、」がついた。こちらからかける用がある時は、近くのタバコ屋の前の赤電話を利用していた。差し迫った用がないかぎり電話をする習慣がなかったから、不自由は感じていなかった。
ところが、事業を始めるとなると、差し迫った用が次々と発生する。出版社や取引先への交渉や、問い合わせで、頻繁に電話をかける必要にせまられて、急遽電話を引いた。電電公社の時代、「最新式」のベージュのダイヤル式電話、これがアジア文庫開店に向けての最初の設備投資だった。1985年の電電公社民営化以後、電話機は百花繚乱、選び放題になったが、当時は、ダイヤル式とプッシュ式にそれぞれ2、3色の色が選べる程度だった。
当然、店にも電話が必要になる。一気に2回線の電話所有者となった。電話の加入権、正確には「施設設置負担金」と言うそうだが、名前の通り、ずっしりと負担に感じた。この「施設設置負担金」は、携帯電話の普及で、廃止の方向にあると聞いているが、返還しないという。変な話だ。税務署では、必要経費として認めてもらえない。翌年の初めての申告のとき、「電話の加入権は、資産になりますから経費には入れられません」と言われた。資産というのは、現金と等価の財産のことではないのか。
店舗は、経費削減、最も安かったダイヤル式の黒電話を入れた。この電話は、呼び出し音の調節機能がなく、狭い店舗にけたたましいベルの音が鳴り響くことになった。

20年前
2004年1月19日

今年は特に感慨もなく、いつのまにかに年が明けてしまいました。昨年の初め、この欄で、「書物復権」をスローガンに掲げましたが、「復権」はなったか? と問われれば、なっていないと答えるしかありません。このテーマは、たぶん、10年単位の時が必要になるのかもしれないという気がします。

今年の3月でアジア文庫は、創立20周年をむかえます。この機に、アジア文庫のこれまでを、この欄で少し振り返ってみようと思います。

20年前の今ごろ、入手できる限りの図書目録を集め、友人にも手伝ってもらって、かったっぱしから、アジア関係の本のタイトルを収集していました。店舗の賃貸契約を済ませたのが前年の12月、大家さんに無理を言って、2月から借りることにしたような記憶があります。3月の開店まで2ヶ月で本を集めなければならなかった。この間に、棚の発注、設置工事、看板、レジなどの備品、包装紙などの消耗品の手配もしなければならない。仕入れ資金を抑えるために、アジアの本を多く出版している出版社には、委託で本を出してもらえるような交渉もしなければなりませんでした。全てを一から始めなければならなかった。多分、私が生涯で最も働いたのがこの時期だったでしょう。それまで数年間、書店で働いた経験はありましたが、開業に携わった経験はなく、手探りで、無我夢中だった。
一番厄介だったのが、本の仕入先である取次会社との交渉でした。まったく実績も資金もない個人を相手に、「取引してください」、「はい、分かりました」というほど世の中あまくはない。一社だけ、一部を委託で出してもらえることに同意してもらえたが、その委託品を、取次は届けてくれず、取りに来いという。大雪の翌日でした。チェーンを巻いたレンタカーを借りて、500冊くらいあったでしょうか、一人で運んだのを昨日のことのように覚えています。いくつかの出版社は、取次を通さず、直接委託で卸してもらえることになったが、結局、開店当初、大半は、現金で仕入れるしかなかった。

2003年10月16日
木曜日

取次(本の卸会社)の鈴木書店が倒産したのが2年前、そしてまた、先週、アジア文庫が取引していた小さな取次が倒産しました。この取次は、鈴木書店と同じような人文・社会科学系の出版社を主に扱っていた会社です。
本当に、会社の倒産というのは、部外者には青天の霹靂です。10月3日まで正常に営業・入荷していたものが、週が明けた6日朝、いつも配達してくれていたアルバイト君が出社すると、会社のシャッターが降りていたそうです。驚いて、社員の自宅に電話で確認したところ、今日明日はとりあえず休業と言われましたと、連絡をしてくれました。
変だなと思っていたところ、いくつかの出版社から電話があって、「社員が自宅待機になっているようなのですが、注文品はどうしましょうか?」との連絡、まさかが、本当になってしまいました。気の毒なのは、バイト君、給料もらえなかったんじゃないのかな。
小店のような書店にとって、この取次は、とてもありがたい存在だった。鈴木書店同様、小さい取次は、小回りがきいて、注文品が迅速に入荷する。注文して、早ければ翌日、遅くとも1週間で入荷していた。大手の取次では、考えられない速さだ。扱う出版社は限られていたが、それでも、人文・社会科学系の中堅の、堅実な出版社を扱い、アジア文庫の棚構成には欠かせない本をカバーしてくれていた。今後、他の取次でカバーしていくしかないけれど、入荷は確実に遅くなるでしょう。
この会社に、どのような経営上の問題があったのかは、知るよしもありませんが、出版不況が根底にあるのは間違いないでしょう。本が売れなくなってきているのは、毎日、肌身に感じてきてはいるが、決して他人事ではないというのが、今の出版界の恐さです。

2003年9月24日
水曜日

お昼の12時は、午後12時? 午前12時?
アジア文庫はオリジナルの栞を作っています。この栞に店の営業時間を、「日曜・祭日:午後12時〜午後6時」と記載しています。
先日、レジにいたとき、ある年配のお客さんから、
「この午後12時というのはおかしいですよ、午後12時は夜の12時ですよ。この表記だと夜12時からの営業になってしまいますよ」と指摘されました。
「えっ? 夜の12時は午前12時ではないんですか?」と、私。
「夜の12時は午後12時です」と、お客さんは自信ありげに断定します。
その断言ぶりに、私の確信は揺らぎ始めました。以来、私は悩み続けています。
疑問はふつふつと湧いてくる。夜の12時は午前0時というではないか。12時と0時は同じ時刻でしょ?すると、午前12時は夜の12時ではないのか?午前12時が夜の12時だとすると、午後12時は昼の12時でいいのではないのか?
新聞を注意して見ていると、正午は「午後0時」と表記している。これは納得できる。午後0時は、午後12時とは違うのだろうか?お客さんの言うように、午後12時が夜の12時だとすると、午後12時10分はどうなるの?まさか夜だとは言わせない、明らかに昼飯が食べたくなる時間ではないか。午前12時10分はどうなるの?真夜中ですよね?
この疑問を先のお客さんに聞いてみたくなったが、名前も連絡先も分からない。
やむなく、ネットで「午後12時」で検索してみると、
国立天文台のこのような見解と、日本標準時を決定・維持・供給する業務を担っているという通信総合研究所には、このような見解がありました。午前と午後を定義している法律は、明治5年に出された「太政官布告三百三十七号」まで遡らなければ見当たらないという。で、これらの見解を総合すると、どうも私の「見解」は歩がわるい。
ここでは、「夜の12時については午後12時、午前零時」、「昼の12時については午前12時」と記されている。ただし、午後0時は定義されていない。通信総合研究所では、「午前・午後の表示を伴う場合は小学校の教科書のように午前、午後とも『00時00分00秒』に始まり、『12時00分00秒』に終る」。つまり、「午前12時00分00秒 = 午後00時00分00秒、 午後12時00分00秒 = 午前00時00分00秒とするのが良いのではなかろうか」、と結ばれている。この解釈だと、12時と0時は同じ時刻だけれども、始点と終点の違いがあるということか? えーい、ややこしい!
でも、まだ納得できない。「午後12時」の検索結果のなかには、地方自治体の公共施設の利用時間を書いたものも多くあったが、正午を「午後12時〜」とか、「〜午後12時」と表記しているものがずいぶんある。Yahooの「Yahooカレンダー」には、正午を堂々と午後12時と書いているではないか。
つまり、一般的には、私と同じように、正午を「午後12時」と理解(誤解?)している人たちが相当いるということだろう。日常的な感覚では、この方がすんなり納得できるような気がするのだが、いかがでしょうか?
ただ、正午を「午後12時」と表記するのは誤解を生みやすいということはよく分かりました。
アジア文庫の営業時間も、
平日:午前10時〜午後7時
日曜・祭日:午後0時〜午後6時
と改めることにいたします。

2003年9月18日
木曜日

紹介が遅くなってしまったのですが、「もうみんな家に帰ろうー!」(一ノ瀬信子編 窓社)は、一ノ瀬泰造の残したネガを30年間焼きつづけてきたお母さん・信子さんが、、その写真とともに、泰造の足跡をたどったものです。お父さん・清二さんの写真も収められています。この本を手にして、一度もお会いしたことはないのだが、清二さんのことを思い出した。

一ノ瀬泰造の写真集「一ノ瀬泰造写真集 遥かなりわがアンコールワット」(1981年 一ノ瀬泰造写真集刊行委員会)は、問い合わせを受けることが多い本だった。「地雷を踏んだらサヨウナラ」が映画化されるずいぶん前、アジア文庫が開店して間もないころだった。あまりにもしばしば尋ねられるので、お父さん・清二さん宛に事情を説明して、本を卸していただけないだろうかという手紙を書いた。どうやって住所を調べたのか、今、まったく思い出せないのだが、お父さんからすぐに返事があって、本が10冊ほど送られてきた。数ヶ月で売り切れ、またはがきで注文するということを何度か繰り返していた。「佐賀県武雄市…」、この住所を何度書いたことだろう。しばらくして、「もう本がなくなりました」、という手紙をいただいた。「間もなく新しい本が出ますので…」、ということが書き添えられていた。
しばらくして、清二さんがまとめられた「一ノ瀬泰造 戦場に消えたカメラマン」(一ノ瀬清二著 葦書房 1994年)が刊行された。この本は、一度品切れになって、映画化後に重版された。つい最近まで在庫があったのだが、また品切れになってしまった。
一ノ瀬泰造の本は比較的若い男の読者が多いように思う。彼の生きた時代と遠く隔たったと思える今なお、その鮮烈な生き方に共感する若い読者の存在は、いくぶん救われるような気がする。
泰造がアンコール遺跡近くで行方不明になったのが1973年11月22日頃。両親はその知らせを聞いた後も、息子の生存を信じ、カンボジア政府に何度も捜索を依頼し続けた。しかし、彼はポル・ポト派に捕らえられ、数日後に処刑されていた。両親が再び彼に会えたのは、「遥かなりわがアンコールワット」を自費出版した翌年、消息を絶って10年近く経過した1982年2月だった。遺体の埋められた場所は、何人かの村人が覚えていて、両親はそこを堀りかえし、遺骨となった息子と対面した。
「もうみんな家に帰ろうー!」には、泥にまみれた遺骨を川で清めている清二さんの写真が収められている。本書を手にして、ぱらぱらと写真を見ていたとき、このページで手が止まった。10年近く生存を信じていた息子の遺骨を手にしたときの、おそらく言葉にはならない思いが凝縮されているように思えた。
その清二さんも2001年2月に亡くなられたそうだ。
信子さんが泰造の残した写真を焼きつづけることでどんなに救われたか、という思いも、今の私にはよく分かる。家族を失うことの痛みをこの本は痛切に訴えているように思える。
そんな思いにさせられたのは、私もこの7月に父を亡くしたからかもしれない。

2003年5月17日
土曜日

全国の書店で組織された日本書店組合連合会(日書連)という業界団体があります。小店も一応、組合員になっています。
先日、この日書連の組合員数が発表されました。今年の4月1日現在の組合員数は、7838店と報告されています。昨年の同期の組合員数が8288店。1年間で450店減少しています。組合員数のピークは1986年の12935店。以来この17年間減少を続け、今年は、なんと34年前、1968年(7886店)のレベルまで逆戻りしてしまったそうです。もちろん、日書連に属さない書店も多くありますから、実際の書店の減少はさらにこの倍近い数字になるでしょう。一説によると、ここ数年、毎年1000店のペースで書店が減っていると言われています。すごい勢いで書店が減少していることは間違いないでしょう。皆さんの近くでも、「そういえば、駅前のあの本屋やめちゃったな」、ということがあるのではないでしょうか。
ただ、これは店舗数で比較した場合で、全国規模での書店売り場の総坪数は、減少していません。小さな街の本屋が減って、規模の大きい書店は増えているという一面もあります。でも、大型の書店は都市部、人口の集中する所にしか出店しませんから、過疎地に住む人にとって、読書環境は確実に悪化しているということになるでしょう。
毎年、この時期、日書連の組合員数の発表を見る度、小規規模零細書店の小店も、明日はわが身かという思いが年々強くなってきます。

2003年2月15日
水曜日

早いもので、当サイトも開設してそろそろ2年半になります。ページ数が1000を超えてしまいました。画像ファイルも含めると、ファイル数は2000を超えています。掲載している本のタイトルはそろそろ4000点になろうか、というところです。更新作業をやっていて、どこを、どこまでやったのか、ときどき分からなくなってしまうことがあります。
品切れや、絶版本の情報はできるだけ早く掲載するようにしていますが、いつのまにか版元品切れになっている本があったりして、入手不能な本がそのまま掲載されてしまっていたりということもしばしばあります。「品切れ本があった」、と喜んでご注文いただいた方に、ぬか喜びを与えてしまうことも何度かありました。ごめんなさい。

ところで、「絶版」というのは分かりやすいのですが、「品切れ」というのは、かなりやっかいです。業界用語では、「品切れ」は、出版社に在庫がないことを言います。「品切れ」は、増刷、再版の可能性が残っています。「絶版」には、この可能性がありません。
大手の出版社の本は、刊行されたばかりの本がすぐに「品切れ」、ということがよくあります。刷った本をすべて書店に配本してしまい、手元に本がなくなってしまうようです。ところが、しばらくすると書店から返品され、本が戻ってくる、あるいは、売れ行きが良好で、増刷する、といったことがよくあります。いったん「品切れ」になった本も、1、2ヵ月後には入荷することもあります。
この刊行直後の品切れ状態のときに、お客さんから問い合わせを受ける、ということがまた、よくあるのです。「出版元で品切れです」と答えても、「出たばかりなのにそんなことはないだろう」、と言われることもあります。実際、他の大きい書店に行くと山のように積んであるということもあり、一気に信用を失ってしまいます。
ただ、これは大手の出版社の場合だけで、中小の出版社の本は、通常「品切れ」になると、ほとんど入手不能になってしまいます。これを、また業界用語で恐縮ですが、「品切れ再版予定なし」と言います。本がなくなりましたが、今のところ、これ以上刷っても採算が取れる見込みがありませんので、増刷の予定はありません、という状態です。
ほとんどの場合、「品切れ」になると、そのまま増刷されることなく終わってしまうのですが、たまに、何かのきっかけで増刷されることがあります。
例えば、9・11以降の、アフガニスタン関係の本や、拉致問題が顕在化して以降の北朝鮮関係の本など、大きな事件や事故、出来事のあとに関連する本が再び登場してくることがあります。
こうしたことがたまにあるので、書店人は、「品切れ」の本を「絶版」です、と答えることに少し躊躇してしまうのです。
よくお客さんに在庫を尋ねられて、「品切れです」とうっかり答えてしまうことがあります。お客さんは、店で品切れと思われるようで、「じゃあ、取り寄せてくださいと」と言われます。「あっ、いえ、出版社で品切れになっているんです」と補足説明をすると、「絶版ですか」と返ってきます。「あっ、いえ、絶版ではないんですが、出版社にもう在庫がないそうです。今のところ再版の予定もないようです」とさらに補足説明を繰り返すことになります。
ベテラン書店人は「申し訳ございません。出版社に在庫がなくなりまして、今のところ入手の見込みがございません」と答えます。この一言で、ほとんどのお客さんは納得していただけます。
私はといえば、年期だけはベテラン書店人の域に入っていますが、なかなかこうはいきません。
「品切れです、あっ、えっと…、出版社で在庫がなくなって、いまして、もう、ちょっと手に入らないです…」 ― 接客業に私は向いていないな、とつくづく思います。

2003年1月8日
水曜日

明けましておめでとうございます。
アジア文庫は6日から平常業務に戻りました。年末年始にご注文、お問い合わせをいただいた方には、お待ちいただいた分、できるだけ早く対応させていただきます。

神保町の交差点近くに、岩波書店の本を中心に扱う『信山社』という書店があります。岩波書店の直営店から、経営者が変わったようですが、品揃えは変わらず、硬派の本をずらりと並べて本好きたちをうならせている書店です。1998年にアジア文庫が今の場所に移転する前は、この店の隣にいました。その正面ウィンドウに『書物復権』という言葉が大きく掲げられています。
昨年末、「今日も(売上げが)ひどいな」と、落ち込んで帰る道すがら、この『書物復権』という文字を見たとき、率直に「あっ、いいな」と思いました。断片的な情報があふれ、流されそうになっている現在、もう一度書物に立ち返ってみることが必要なのではないか、という思いが強くなっていた時期でしたから、胸にストンと落ちてきました。
もともとは、岩波書店や、勁草書房、東京大学出版会など、数社の出版社が、品切れ・絶版書を、読者からのリクエストをつのって復刊させていこうとする共同企画のネーミングのようです。
人の褌なのですが、今年のスローガンはこれで行こうと決めました。これまで、スローガンや、抱負など年初に考えたこともないのですが、とにかく今年は『ショモツフッケン』です。決めました。

 

2002年12月31日
火曜日

そろそろ除夜の鐘が聞こえてくる時刻になりました。今年はあまりいい年ではなかったな、というのが、私の正直な感想なのですが、皆さまはいかがでしたか?
アフガンへの米軍の介入、拉致問題、バリ島での爆弾テロ、イラクをめぐる情勢…、メディアのニュースには、サッカーのW杯を除くと気が重くなる事件・できごとが続きました。こうした動きに呼応して、関連する本も多く出版されました。
9・11以前、アジア文庫の棚には、アフガニスタン関係の本は数冊しかありませんでした。今、関連する本は30冊を超えています。イスラムに関する本は、それ以上に増加しました。イスラムへの関心が、日本でこれほど高まったことはかつてなかったでしょう。センセーショナルな本も多く出ましたが、一方で、テロとは無縁のムスリムへの理解を呼びかける本も目立ちました。
拉致問題に関連して北朝鮮関係の本も急増しています。これまで北朝鮮に関する本は、くっきりと色分けされていました。好意的に書かれた本と、批判的に書かれた本に。数のうえでは、批判的な本が圧倒します。もともと情報が非常に限られた国ですから、正確な姿を得ようとすると、多くの証言や資料を積み重ねていかなければ実態は浮かんでこないはずですが、「謎」や「疑惑」、「脅威」、「恐怖」、「戦慄」といった週刊誌的なタイトルを連ねて、売らんかなの本が多いのは気になります。興味本位では何も解決しないでしょう。
ただ、こうしたメディアに大きく扱われる事件・できごとの陰に隠れて、アジア各地に、営々と、日常をひっそりと暮らす人たちがいます。彼らが紡いできたそれぞれの歴史や文化、社会は、たぶん、本でしか伝えるすべはない。そんな気がします。
10年前、20年前に比べて情報量は圧倒的に増えましたが、新聞、テレビ、雑誌、インターネットといったさまざまなツールから得られる情報は、受け手の側にそれを受け止め、咀嚼する力量がない限り、自らの血肉とはならないでしょう。そして、その力量をつけてくれるすべは、たぶん、本しかない。そんな気もします。
「活字離れ」という言葉が使われるようになって、ずいぶん久しい。私のあいまいな記憶では、30年前か、それ以前から言われているように思います。それは、私がちょうど、書店の仕事に携わり始めたころと重なります。でも、本を売る立場からになって、この言葉を実感したことはありませんでした。むしろ、「本をしっかり読む人が、こんなにいるのか」という思いのほうが強かった。
ところが、ここ数年、特にこの2、3年、もしかして「活字離れ」が本当に起こっているのではないかという思いがしてきました。アジアの歴史や文化、社会を伝える本が、確かな手ごたえで売れていくという実感が次第に薄れてきています。もし、これが事実だとすれば、現在の不況より、ひょっとすると、もっと深刻な事態ではないか、とすら思います。
私の思いが、売れない本屋のオヤジの杞憂であることを祈ります。
よいお年を。

2002年11月15日
金曜日

アジア文庫で扱う本の多くは、初刷2〜3千部、多くてもせいぜい5千部程度の本がほとんどです。10月末に発売された「ハリーッポター」の第4巻「炎のゴブレット」は、初刷が230万部とか、気が遠くなるような数字です。書店の数が2万店ほどですから、単純に割ると1店舗あたり115部で…、定価3,800円をかけると……、ウーンいいな、アジア文庫は指をくわえて溜息をつくしかありません。とは言え、不景気な話しか聞こえてこない出版界には、久しぶりに明るい話題でした。
また、先日開催されたの「神保町ブックフェスティバル」は、主催者の発表では、3日間で15万人もの人が集まったそうです。当日は買った本を詰めた重そうなリュックサックを背負ったり、紙袋を両手にさげた人を多く見かけました。私が書店人だからでしょうか、他人事でも、本がどんどん売れていくのを見るのは気持ちがいいものです。その快感をしばらく忘れていたような気がします。

2002年11月3日
月曜日

毎年恒例の「神保町ブックフェスティバル」が昨日(11月2日)から始まりました。アジア文庫の5階の窓から、この賑わいを見ていると、出版不況が嘘のようで、少し元気が出てきます。毎年雨にたたられてしまうのですが、天気予報では、今年は大丈夫そうです。すずらん通りに、ずらりと並んだ出版社のブースはどこも人だかりができて、近づくのに一苦労します。「神田古本まつり」とあわせて、4日(月)まで開催されています。本好きな人にはたまらない催しです。ぜひお出かけください。

2002年8月14日
月曜日

本日から、前川健一さんのオリジナル原稿を、当サイトに掲載いたします。「アジア雑語林」と題してお送りいたします。
これまでも、「前川健一のコラム」として、小店の新刊情報誌「季刊 アジア文庫から」の原稿をいくつか転載してきましたが、これからは、当サイト向けに、オリジナルで書いていただけることになりました。
私の知る限りでは、前川さんほど広くアジア関係の本を読んでいる人を知りません。以前、彼の読書リストを見せてもらったことがありますが、その読書量には仰天させられました。
前川さんの著書を読まれた方はご存知でしょうが、彼の関心領域は、多岐にわたっています。得意の食文化をはじめとして、音楽、建築、交通、服装…、アジアの衣食住すべてが彼の興味の対象です。
また、タイに関する本を多く書かれていますが、関心はタイに留まらず、インドネシアや、ベトナム、カンボジア、韓国、インド、アフリカと広範な地域に及びます。読書範囲も、当然、彼の関心分野、地域と重なって多岐多様です。
さらに、前川さんの強みは、自らの足で現地を歩いていることです。1973年から、彼のひとり旅は始ります。以来30年。その体験は、読書に裏打ちされて、より深みを増しています。
本の話、旅の話、アジアで出会った人びとの話、食べ物の話…、さまざまな話題が出てくると思います。どうぞ、お楽しみに。
前川健一著作一覧もご覧下さい。

2002年8月12日
月曜日

 

 

 

 

『神保町「書肆アクセス」半畳日記』
(黒沢説子、畠中理恵子著 無明舎出版 1,600円)

「イヤー、バンコクより暑いですね」とか、「ラオスの方がずっと涼しいですよ」などが、ここのところ、アジア文庫店頭でのお客さんとの挨拶代わりになっています。東南アジアから帰って来たばかりの方は、「東京のほうが暑いですよ」と必ず言われます。
まさに熱帯なみの暑さが続いていますが、アジア文庫は夏休みもなし、お盆の期間も平常どおり営業中です。仕事の後のビールを生きがいに働いています。

以前から、紹介しようと思いつつ、遅くなってしまったのですが、アジア文庫の数軒となりに、「書肆アクセス」という書店があります。同店は、流通に乗りにくい地方の出版社や、小さな出版社の本を専門に扱う卸会社、「地方・小出版流通センター」の展示・小売部門を担っている店です。ここで働く女性二人の共著で、『神保町「書肆アクセス」半畳日記』(黒沢説子、畠中理恵子著 無明舎出版 1,600円)という本が出ました。
この小さな書店の日常が、そこに出入りする読者や、出版社、書店といった人々との交流と共に綴られています。流通に乗りにくい出版社の本を扱っているので、アジア文庫も仕入れでは、よく利用させてもらっています。
小さな専門書店という立場は、アジア文庫とも共通点があって、他人事のように思えず、私はこの本を大いに応援したいと思っています。書店の裏で繰り広げられる本屋の仕事、意外と奥が深いのです。
一般の書店の仕入先は、大体ひとつの取次(本の卸会社)に限られています。ところが、書肆アクセスと同じように、アジア文庫も、流通ルートに乗らないような出版物も多く扱っていて、そうした仕入先の人びととの交流も大きな財産になっています。
黒沢さんは残念ながら退職されましたが、畠中さんは店長として、今も書肆アクセスを支えています。
アジアの本ではありませんが、ご注文いただければ、お送りいたします。もちろん直接、書肆アクセスにご注文いただいても構いません。
書肆アクセスのホームページはこちらです。
http://www.bekkoame.ne.jp/~much/access/shop/shoppage.html

2002年7月29日
火曜日

3ヵ月毎に一度のテンテコマイからやっと解放されました。
「季刊 アジア文庫から」の編集がやっと終わり、少し落ち着いて日常業務に戻れそうです。ホームページの更新も遅れ気味になっていました。日常のペースに戻してまいります。
「季刊 アジア文庫から」は、アジア文庫の新刊案内情報誌です。わずか12ページの冊子ですが、書店業務の合間を見ての編集で、いつも2週間前後かかってしまいます。最近は、出版点数が増えて、この少ないページ数にどうやって押し込むか、レイアウトに悪戦苦闘です。
今回の77号には、今年の3月から6月の間に入荷した新刊280点余が載っています。平均すると、月に100冊近くの新刊が入荷していることになります。特に、今回は、サッカーのW杯の影響で、韓国関係の本が急増しました。
出版点数が増えれば、売上げも増える…、と好都合にいかないのが世の中で、現実は、あくまで皮肉にできています。W杯期間中は、いつにも増して閑古鳥でした。それはそうでしょう、この期間、本を読むより、サッカー観戦でしょうね。

「季刊 アジア文庫から」は、店頭では無料で配布していますが、ご希望の方には、年間500円でお送りしています。詳しくはこちらをご覧下さい。

2002年6月4日
火曜日

アジアの語学書にも価格破壊の波がやってきました。
少数言語の語学書は高いのがあたりまえ、という状態が続いていましたが、最近、「えっ!」と驚くほど安いテキストが出版されるようになりました。
その先鞭をつけたのが、ナガセの「今すぐ話せるシリーズ」でしょう。同社の「今すぐ話せるタイ語 入門編」 は、CDが2枚付いて1,800円、「今すぐ話せるフィリピン語 入門編」も、CD2枚付で2,000円、「今すぐ話せるインドネシア語 入門編」も同じくCD2枚付 で2,000円 、とこれまでの常識をくつがえす安さです。タイ語、フィリピン語、インドネシア語の語学書は、これまで、テキストが安くて2000円代、カセットテープが1本別売で2,500円程度、本とテープを合わせると、安くて4〜5千円代といったところが相場でした。つまり、半額以下まで値下がりしたことになります。
さらに遡ると、80年代はもっと高かった。テキストが4〜5千円、テープ1本で4,000円という時代でした。当時、少数言語はごく限られた出版社しか発行していませんでした。また、学習者も少なく、発行部数も限られ、結果的に高い定価になってしまったのでしょう。
その後、東南アジアの言語を発行する出版社が、少しずつですが、増えてきました。それに伴って、定価も徐々に値下がりするようになってきました。それは、東南アジアの言語を学ぼうとする人たちが増えてきた時期とも一致します。出版点数もここ10年くらいで格段に増えてきました。タイ語のテキストなどは、どれを選べばいいのか、迷っているお客さんもよく見かけます。
ナガセの「今すぐ話せるシリーズ」が出てから、他社も追随するように、あるいは対抗上、同程度の価格のCD付きテキストを出版するようになりました。学習者にとっては、歓迎すべき状況になってきたといえるでしょう。CD付きテキストは、今ではあたりまえのようになってきました。
ただ、初心者にとっては恵まれた状況になってきましたが、本格的に学ぼうという人にとっては、まだ、充分な環境が整ってきたとは言えません。タイ語では、「タイ日大辞典」という優れた辞書がありますが、他の言語では、辞書に関しては、お寒い状態が続いています。ある程度以上の語彙数、レベルを求めようとすると、「Tagalog-English」のような、英語と対応した各国語の辞書しかないという状況です。語学書にしても、初級者向けの学習書はあっても、中級以上のレベルになると極端に少なくなってしまいます。
日本語に対応したアジア各国語の辞書が整備されるのには、まだまだ長い年月がかかりそうです。

02年5月11日
土曜日

新年のご挨拶からすっかりご無沙汰をしてしまいました。桜の花もとうに散り、初夏を思わせるような暑い日を迎える季節になってしまいました。このページの更新はないのかとのご指摘をいただきました。読んでくださる方がいるのだと、心改め、キーボードに向かいました。

この間の大きな動きは「ウォンビン写真集」の売れ行きでした。
2月4日、5日に放送されたテレビドラマ「フレンズ」(TBS系 日韓共同制作)の放映直後、当サイトとしては驚異的な数のアクセスが殺到しました。
当初は、なにごとが起こったのかと見当がつかなかったのですが、アクセスは「ホット・チリ・ペーパー」を紹介したページに集中していました。この中に「ウォンビン」の名前がありました。
「フレンズ」は韓国の人気俳優、ウォンビンと深田恭子の共演ドラマでした。この番組を見た人が、放映直後に、日本では一般には、無名に近かったウォンビンをもっと知りたくて、ホームページで検索をかけたようです。テレビのもつ影響力の大きさに改めて驚かされました。
「ウォンビン写真集」は、この直後に発売されました。それから約一ヶ月間、ネットでも注文を切れることなくいただいて、アジア文庫では異例の、タレントの写真集が月間売上(2月)のベスト1、という「快挙」が達成されました。

韓国といえば、日韓共催のサッカーW杯が目前に迫ってきました。ここにきて、韓国関係の本の出版数が急増しています。この状況は、1988年のソウルオリンピックの時とよく似ています。
ただ、細かく見てみると少し成熟したかな、という感じもします。
ソウルオリンピックの時は、まだ、韓国ってこんな国ですよ、といういわば、初心者向けの本がほとんどででしたが、今回はもう少し韓国を全般的に紹介しようとする本もでてきました。
「ウォンビン写真集」が象徴するように、特に、日本の若い世代に、韓国を新鮮な視線で受け入れる人びとが生まれてきています。韓国映画の「JSA]や「シュリ」が日本でもヒットしました。また、「ホット・チリ・ペーパー」や「K−POPSTAR」などの韓国の映画やポップスを紹介した雑誌がそこそこの売上を維持しています。
一方、韓国でも、日本のコミックや映画、ポップスに魅せられた若い世代が現われています。最近刊行された「イルボンは好きですか?」には、韓国の若い世代が、いま、日本をどう見ているのかが紹介されています。
歴史的なわだかまりからなかなか抜けきれない日本の旧世代を尻目に、日韓の若い世代で、サブカルチャーを軸にして、意識的な変化の兆しが出てきているような気がします。

2002年1月2日
土曜日

明けましておめでとうございます。
アジア文庫は18回目の正月になります。ここまで支えていただいた多くの方々に感謝申し上げます。
今年もアジア文庫は、頑固にアジアの本を売り続けてまいります。本年もよろしくお願いいたします。
新年を迎えて、心機一転、タイトルロゴを変えてみました。

昨年度の年間売上ベスト30を掲載いたしました。選書のご参考になれば幸いです。1位は一昨年同様「歩くバンコク」でした。
タイは相変わらず根強い人気があります。なんと、6位までをタイが独占してしました。1位は341冊、30位は45冊でした。
今年はどんな本が登場するか、楽しみです。

昨年は気の重くなるような話題が続きました。今年は、日韓共催のワールドカップも開催されます。少しでも明るい年になることを祈っています。

新年は、1月4日より平常通り営業いたします。

 

2001年12月29日
土曜日

今年も残すところ後3日となりました。年末年始はアジア文庫の唯一の休業日です。
店舗は、12月30日から1月3日の間休ませていただきます。新年は1月4日から平常通り営業いたします。
また、ネットでのご注文へのご返事、発送も、すべて新年1月4日以降に対応させていただきます。ご迷惑をおかけいたしますが、ご了承ください。

既に新聞でも大きく取り上げられましたが、今月初めに取次の鈴木書店が倒産しました。鈴木書店は、アジア文庫にとっても身近な存在でした。鈴木書店は出版界以外の方には、馴染みのない名前でしょう。取次は出版社と書店の間にあって本の流通のかなめにある存在です。鈴木書店は中規模の取次でした。倒産時には従業員は50人程度だったと聞いています。企業としては小規模と言えるでしょう。
なぜ、こんなに小さな会社の倒産が大きく報じられたのか。ひとつは、現在の出版界の現状を象徴した出来事だったからでしょう。
鈴木書店は、岩波書店を筆頭に、未来社、有斐閣、みすず書房、勁草書房、東京大学出版会など人文社会科学系の硬派の出版社の本を主に扱っていました。主要な取引先は大学生協でした。
アジア文庫の開店時には、「アジアの専門店なんて…」と、大手の取次には相手にしてもらえず、仕入れに関しては、鈴木書店にずいぶんお世話になりました。
倒産に関してはさまざま理由はあるのでしょうが、最大の要因は、「本が売れなくなった」ということにつきるように思われます。
先日、新聞で大学生の毎月の図書購入費が3000円弱だと報じられていました。一方で、携帯電話料金は月々9000円弱だとか、図書費にはおそらく、教科書代、雑誌代も含まれているでしょうから、この数字が本当だとしたら、大学生はほとんど本を読んでいないということになります。
本屋のオヤジとしては、身震いしたくなるような現実です。日本の将来大丈夫かな?

本年も1年間ご利用賜りましてありがとうございました。新年は少し明るい話題に出会えることを願って…。よいお年をお迎えください。

2001年10月27日
土曜日

テロ、狂牛病、不景気・・・、あまり明るい話題のない日々が続きますが、こんな時はやっぱり本です。じっくり、本を読んでみませんか?
年に一回、神田神保町が一番賑わう日がやって来ました。
10月26日から11月3日まで神田の古書店が開催する「古本まつり」が始まりました。
また、27日(土)と28日(日)はアジア文庫のあるすずらん通りでも「神保町ブックフェスティバル」が開催されます。多くの出版社がワゴンを出して、自社本を割引販売します。この日ばかりは、すずらん通りは、本を求める人で埋まってしまいます。チャリティーオークションや、子供向けの催しなど盛りだくさんです。都合がつきましたら、来てみてください。ついでにアジア文庫へも、ぜひお立ち寄りください。
詳細はこちらをご覧下さい
 「神保町ブックフェスティバル」

2001年9月24日
月曜日

今回のニューヨークでのテロ事件の影響でしょう、中東一般とアフガニスタンの本を紹介したページへのアクセス数が急増しています。アフガニスタンは現在、わずか2点しか掲載がないのですが・・・。

アフガニスタンという国名を聞いて、私がいつも思い出すのは、南條直子さんというカメラマンのことです。1987年ころだったと思います。アジア文庫が開店してまだ間もないころ、店舗が神保町の交差点近くにあったころです。
「今度、アフガニスタンの写真展を開くことになったのですが、案内のチラシをおいていただけますか?」と、訪ねてこられました。
ソ連軍のアフガニスタン介入が79年12月、撤退が89年の2月ですから、87年は、混乱の極にあったといえるでしょう。そんな中、女性がよく取材を、と印象に残っていました。
チラシは預けっぱなしという人がほとんどですが、南條さんからは、写真展が終了した後、丁寧なお礼状をいただきました。

それから1年後くらいだったでしょうか、なにげなく開いた新聞記事にくぎ付けになりました。「日本人女性カメラマン、アフガニスタンで地雷に触れ死亡」の見出し。
「まさか・・・」、と思いましたが、南條さんでした。

アフガニスタンはソ連軍の撤退後も内戦状態が続き、いまだに解決のきざしはありません。今回のテロ事件の直前には、タリバンの抵抗勢力の指導者だったマス−ドが暗殺されたばかりです。今度はアメリカ軍の攻撃にさらされる可能性も出てきました。この地に暮らす罪のない、ごく普通の人びとが平穏な生活をおくれるようになるのはいつになるのでしょうか。

南條直子さんの著書に、「戦士たちの貌 アフガニスタン断章」(径書房)がありますが、現在出版元で品切れになっています。

2001年8月13日
月曜日

今年も謝恩価格本フェアを実施いたします。定価の5割前後で販売いたします。対象の図書リストはこちらです。
8月10日より11月10日まで、約3ヶ月間開催いたします。今年は、トラベルジャーナル、情報センター出版局、梨の木舎の3社にご協力いただきました。
トラベルジャーナルは、「ワールドカルチャーガイド」シリーズなど、各国のサブカルチャーを紹介する本を多く出版しています。
情報センター出版局は、ロングセラーの「旅の指さし会話帳」などでおなじみ、企画がいつもユニークです。アジア関係の本も多く手がけています。
梨の木舎は、「教科書に書かれなかった戦争」シリーズなどで、近現代史を市民の立場から、掘り下げ、見つめ直した本を数多く出版しています。
個性的な出版社の本が揃いました。どうぞ、ご利用ください。

アジア文庫は8月も休まず、平常通り営業しています。夏休みにご都合がつきましたら、店舗の方へもぜひご来店ください。

2001年7月12日
木曜日

今度はこのページ、4ヵ月振りの更新となってしまいました。零細書店の悲しさ、アジア文庫のレジ裏は文章の推敲もままならぬ忙しさ・・、ということでお許しを。

もうひとつお詫びがあります。7月1日から6日まで、システムの不具合で、「ご注文」のフォームが作動しなくなりました。この間、メールでのご注文に切り替えてお送りいただくようにお願い致しましたが、7月1日から6日の間にご注文いただいた方で、「確認のメールもないぞ!」という方がいらっしゃったら、お手数ですが、もう一度、お問い合わせください。ご注文が届いていない可能性があります。

システムの回復に手間取りましたが、現在は、正常に機能していますので、ご注文、どしどしおよせください。お待ち申し上げております。

ところで、早いもので、当サイトも開設してちょうど1年経ちました。準備段階も含めると、手探りの1年半でした。当方の力量不足で、まだまだ、使い勝手がいいサイトとはいえないと思いますが、これからも末永くお付き合いいただけると幸甚です。
お気づきの点がありましたら、ご遠慮なくご指摘ください。

注文フォームの不良は1年目での大トラブルでした。修復に相当時間が取られてしまいました。このため、更新も少し滞ってしまいました。ペースを上げて、なんとか遅れを取り戻していきます。
今後とも、実店舗共々ご利用賜りますようお願い申し上げます。

2001年3月19日
月曜日

この頁の存在を忘れていたわけではないのですが、気が付けば2ヶ月ぶりの書き込みとなってしまいました。
サイトのページ数が300頁を超えてきて、時々どこに何があったのか、この作業はどこまでやったのか、と混乱してしまうようになりました。更新はほぼ毎日しています。が、態勢を整え直さないと、あれも載せたい、これも紹介したいと気持ちばかりが先行気味で、やや反省。

アジア文庫が勝手にブレーンの一人と決めている前川健一さんの新刊が出ました。『タイ様式』と書いて「タイスタイル」と読むそうです。本書は、1998年刊の『バンコクの容姿』(講談社)を加筆、再構成して文庫化されたものです。
『アジアの路上で溜息ひとつ』(1994年 660円)、『いくたびか、アジアの街を通りすぎ』(1997年 705円)、『アジア・旅の五十音』(1999年 724円)に続く講談社文庫の4作目になります。発売5日目になりますが、売れ行き好調です。前川氏久々の「アジア文庫月間ベスト1」奪還なるか、楽しみです。
それにしても本書を手にして、前川さんの好奇心の広角打法には改めて驚嘆いたしました。

私は前川さんのアジアとの関わり方で、いいなと思うのは、その距離感です。おそらく、前川さんの本を何冊か読まれた方にはお分かりになると思いますが・・・。

2001年1月21日
日曜日

今日は日曜日、当番で店番中・・・。
たった今、来られたお客さんが、
「イヤー、あった、あった、この本を今日一日中探しまわっていたんですよ。大きい書店にも、どこに行ってもなくて、もうあきらめて帰ろうかと思っていたところなんですよ。ヤー、よかった」
お客さんにこう言ってもらえると、こちらも嬉しい。やったね、という気持ちになる。
逆に、「この前この辺にあった○○○という本、はどこにありますか?」「アッ、それきのう売れてしまいました」。
「この本はありますか」、「ごめんなさい。絶版です」。
ということもしばしば。実感としてはこちらの方が多いかも。
本は多品種少量生産の典型。しかも代替が効かない。
専門店としてはすべての本を切らさずに揃えておきたいという思いは常にありますが。仮に、豊富な資金量とスペースがあったとしても。現実的には困難でしょう。
現在、アジア文庫の在庫は2万冊位。これに毎月新刊が100点近く加わっていきます。また、出版社で品切れになったり、絶版になって入手できなくなってしまう本も多い。
すべてのお求めには応えきれないかもしれないが、できるだけ多くの読者のご要望には応えたい。
さてどうするか。
昨夜降った雪がとけ始めた日曜日の昼下がり、レジに座っていてそんなことを考えていました。

2001年1月1日
月曜日

2001年、新世紀、明けましておめでとうございます。

私事で恐縮ですが、私は1950年生まれ。子どもの頃、「21世紀にはボクは50才か・・・、その頃どうしているんだろうなー」と、遠い将来のことを夢のように漠然と考えていたことがあります。それは、小学生の私には本当に遠い、はるか彼方の未来でした。
その21世紀が現実となりました。現実はやはり、夢のような世界とは、かなり趣が異なります。夢みる少年は小さな本屋のオヤジとなっていました。それも生まれ育った九州を遠く離れて東京で。
1983年も終わろうとしていたころ、神保町の交差点近くのビルの二階に『貸室』と大書された張り紙を見つけたのがアジア文庫を始める直接的なきっかけとなりました。あわただしく契約、そして開店準備、翌年3月1日にアジア文庫は誕生しました。(その後、98年にすずらん通りの現店舗に移転)
この時もやはり、21世紀は遠い未来でした。「アジアの専門書店なんてやっていけるわけがない」というのが大方の見方でした。実際、大手の取次(本の卸会社)には取引してもらえませんでしたし、仕入れには相当苦労しました。
2001年にアジア文庫は存続しているのだろうか、という不安と、「読者は絶対に存在する」という私の中の「確信」の間を気持が揺れていました。
そして今日、21世紀がやって来ました。
夢見る少年は後頭部が薄くなり、遠近両用めがねをかけていました。危ぶまれたアジア文庫もなんとか存続していました。
ここまでアジア文庫を支えてくださった方々に、さらに、何よりもアジア文庫で本を買っていただいたアジアを思う多くの読者の方々に改めて厚くお礼申し上げます。
出版を取りまく環境は年々厳しくなってきています。アジア文庫も出版不況の中にあって例外ではありません。でも、まだまだ本でしか伝えられないアジアがあると信じて、頑固にアジアの本を扱ってまいります。
今世紀も末永くお引き立てくださいますようお願い申し上げます。

2000年 年間売上ベスト30 を掲載しました。またまたタイが他の国、地域を圧倒しています。発売時期によって必ずしも正確に本の動向を反映しているとはいえないかもしれませんが、大体の目安にはなるかと思います。読書計画の参考にしていただければ幸いです。1、2、3位はいずれも実用書です。情報を求める傾向が顕著に出た1年だったような気がします。ちなみに、販売数は、1位が273冊、30位は44冊でした。

2000年12月15日
金曜日

他のページ更新に汗を流していたら、このページ1ヵ月ぶりの書き込みとなってしまいました。
さらに気が付けば、21世紀もカウントダウン。気ばかり焦ってしまうのはいつもの年末と同じ。

毎月、月初めに「月間売上ベスト10」を掲載していますが、近々、2000年の年間ベスト30を発表いたします。お楽しみに。

年末年始はアジア文庫唯一の休業日です。トップページでもお知らせいたしましたが、“世紀末”は12月29日まで、明けて“新世紀”は1月4日から営業いたします。店舗が休業になる12月30日から1月3日の間、ネットでのご注文、お問い合わせへのご返事も休ませていただきます。ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いいたします。
もちろん、ご注文、お問い合わせの受け付けは、365日24時間営業中です、どしどしお寄せください。

2000年11月13日
月曜日

3ヶ月間続けてきました「アジア文庫創立16週記念感謝フェア」は、11月10日で終了させていただきました。期間中ご利用ありがとうございました。一部の本は「特価本」として引き続き割引価格で販売しています。

変わりまして、11月11日より12月29日まで、「アジアグッズ・雑貨フェア」を開催しています。ご来店できない方には申しわけありませんが、こちらは、店舗のみでのフェアです。チベット、ネパール、インド、ベトナム、タイ、などからの雑貨、仏具などを展示販売しています。どうぞご利用ください。

2000年11月8日
水曜日

アジア文庫は2年前、神保町の交差点そばの店舗から今のすずらん通りに移転しました。例年、10月末から11月の始めにかけて、約一週間、神田の古書店組合が主催する古本祭りが開催されます。その会場が、神保町の交差点に設けられるため。旧店舗にいたときは、周辺が大変な人出で賑わいました。
現店舗のあるすずらん通りでも、期間は2日間に限定されるのですが、この時期に合わせて、ブックフェスティバルが開催されます。こちらは、出版社のワゴンが通りを埋めて、新刊本の割引セールが行われます。こちらの人出も大変なもので、ワゴンに近づくことさえままなりません。ただ、今年は、雨にたたられ、10月28日、29日の予定が、28日だけしか開催されませんでした。
古本祭りの方も全般的に雨で、ちょっとさみしいお祭りで終わってしまったようです。気のせいか天気の良い日も人出は例年より少なかったように思えました。
今年はちょっと残念でしたが、この本に押し寄せる壮観な人の群れを見るのは私のお気に入りです。、どこかわくわくさせられるものがあります。たぶん、本が本来持っている力、「知恵」、「知」、「知識」、そんな総合的な思考力をはぐくむ本の魅力が、いまの、情報に席巻されたかのような時代にあっても、なお、健在だと思わせてくれる光景だからなのかもしれません。

10月のベスト10を掲載しました。あまり替わり映えしないのですが、やや異色の2点の新顔があります。6位の「南ラオス・山河紀行」と、10位の「海の帝国」。
ラオスに関する本の出版点数は他の東南アジアの国と比べて極端に少ないのですが、人気は周辺国のビルマやカンボジアに比べても遜色はないように思います。南ラオスを紹介した本は、他にほとんどないでしょう。
「海の帝国」は一般読者向けに書かれた教養書ですが、研究者によって書かれた本がベスト10入ったのは久しぶりです。東南アジアの近代史を体系的に学んで見たい人におすすめ。

2000年10月12日
火曜日

 

「バンコクの好奇心」 前川健一著 めこん 1990年7月 304頁 めこん 1,900円

 

気がついたらオリンッピクも終わって、すっかり秋になっていました。
1ヵ月なんてあっというまですね。このサイトをアップロードして、はや3ヵ月。覚悟はしていたもののHPの作成、更新、管理はとんでもなく手間隙がかかるものですね。
でも、初めて注文をいただいた時は嬉しかった。横須賀のY様ありがとうございました。

9月のベスト10を掲載しました。今回は表紙の写真を入れてみました。
相変わらずタイの本がよく動いています。ベスト10中、6冊がタイの本です。この傾向が顕著になってきたのは10年くらい前からです。
10年前はどうだったのか、ちょっと面白い資料を見つけました。以下は、小店で出している新刊案内、「アジア文庫から」に掲載した10年前のベストテンです。ちょっと長くなりますが、転載してみます(青字)。現在、出版元で品切れになって手に入らない本も半数あります。

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【アジア文庫1990年8・9月期売上ベスト10】
1.バンコクの好奇心 前川健一 めこん 1,900円
2.アジアのエスニック料理入門 黄華月 千早書房 760円
3.マッサージ・ガール パスク・ボンパイチット 同文館 
品切れ
4.バンコク楽宮ホテル 谷恒生 徳間文庫 
品切れ
5.タイ楽しみ図鑑 戸田杏子、佐藤彰 新潮社 1,300円
6.アジア雑貨仕入旅 仲屋むげん堂企画室 岩波書店 900円
7.無責任援助ODA大国ニッポン 村井吉敬、ODA調査研究会 JICC出版局 
品切れ
8.東方食見聞録 森枝卓土 徳間文庫 780円
9.カルカッタ大真珠ホテル 谷恒生 徳間文庫 
品切れ
10.アジアの教科書に書かれた日本の戦争 東南アジア編 越田綾編  梨の木舎 2,300円
   
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前川健一さんの「バンコクの好奇心」がこの年の7月に刊行されています。アジア文庫始まって以来の記録的な売上を記録したのがこの本です。初回に入荷した20冊が数日で売り切れてしまい、あわてて発行元の「めこん」に電話して、50冊追加したのを覚えています。
かつて、香港で、山口文憲氏の「香港旅の雑学ノート」、韓国で、関川夏央氏の「ソウルの練習問題」といった内容的にもきわめて優れた本があったように、前川健一の「バンコクの好奇心」が、この時、タイ関係の本の転換点となるような象徴的な本となったと私は考えています。山口、関川、両氏の本が予備知識のない一般の読者を引き込むような優れた異文化、社会を紹介した本であったと同じレベルで、「バンコクの好奇心」も読者を引き寄せたと言ってもいいでしょう。
上記のベスト10に関して私は次のようなコメントを書いています。

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 タイは強い、というのが実感です。ベスト10中、上位5位のうち4点を占めています。この強さの原因、幾つか思いつくのですが、これだ、というのがありません。日本との経済的、人的交流が近年とくに強く、大きくなってきている。というのが最も説得力を持ちそうなのですが。それならば、韓国やシンガポール、あるいは香港、台湾はどうなんだ、と言われればそれまでです。個々の読者に聞けばはっきりするかと思いきや、料理が好き、笑顔がいい、投資の対象として最適、物価が安い、文化に興味がある、‥‥.さまざまな答えが返ってきてますます判らなくなってしまう.結局、この雑多さ、懐の深さが接する人それぞれに、それぞれの面を持ってもてなしてくれるというところがタイ人気の秘密かもしれません。
 前川さん、堂々の第一位です。売上冊数136冊。2位が41冊ですから3倍強と庄側的な強さでした。雑多さ、といえばこれほどバンコクの雑多さを教えてくれる本も他にないでしょう。
 
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日本人がタイに惹かれる理由は、いまだによく分かりません。何故、と聞かれた時、私は上にも書いていますが、「結局、タイの懐の深さなのでしょう」、と答える事にしています。

2000年9月23日
土曜日

シドニーオリンピックもたけなわですが、私はオリンピックを、主に、聞いています。午後7時に店を閉めた後、店のBGMをラジオに切り替えて残務を片付けるのが日課になっています。サッカーの日本の予選3試合も全部ラジオで観戦、ではなく、「聴戦」していました。野球と違って、サッカーのラジオ中継は、試合の動きがおぼろげにしか分かりません。テレビで見るよりはるかにハラハラ、ドキドキします。ハラハラ、ドキドキが好きな方は一度お試しを。
昨日の柔道、篠原選手の決勝戦もラジオで聞いていました。解説者が盛んに憤慨していたのも、帰宅してテレビのニュースを見て、やっと納得しました。後味の悪い結果で、遅ればせながら私も憤慨しました。
でも、オリンピックというのは何故こうも、内なるナショナリズムを刺激するのでしょうか。

話はがらりと変わります。インドネシアの代表的な作家、プラムディア・アナンタ・トゥールが福岡アジア文化賞大賞受賞のため来日しています。9月25日に記念講演があります。詳細はアジアイベント情報をご覧下さい。プラムディヤ・アナンタ・トゥール来日記念作品紹介を設けました。東南アジアにもこんなに優れた文学作品があることは、一般的には、まだ充分に知られていないのが残念です。たびたびノーベル文学賞の候補にもあがっています。今年は受賞の絶好のタイミングではないかと思いますが・・・。
インドネシアに関心がある人だけでなく、もっと広く読まれて欲しい作品です。アジア文庫で買ってくれ、とは申しません。未読の方は近くの図書館で借りて読んでみてください。物語に引き込まれて寝不足になること請合います。

2000年9月11日
月曜日

前川健一さんのコラムに「バトパハ」を掲載しました。このコラムはアジア文庫の新刊案内(現在は「季刊 アジア文庫から」)に連載している書評から転載しています。最新刊の69号で、連載も52回になりました。
「バトパハ」はその第一回目のコラムです。1988年に発行した17号に掲載したものです。当時は、まだ発行部数も少なかったため、ご覧になっていない方も多いのではないでしょうか。
ここで紹介されている金子光晴の「マレー蘭印紀行」は、今でも東南アジアの紀行文の最高傑作の地位にあると言ってもいいでしょう。アジア文庫でも多くの読者に支持され、息長く売れつづけています。いま隆盛を極めている旅の本のルーツと言えるかもしれません。

2000年9月7日
木曜日

8月の月間売上ベスト10を掲載しました。冊数もお知らせしておきます。1位の「TOKYOリトルアジアの歩き方」は53冊、10位の「間違いだらけの海外個人旅行」は12冊です。
ご覧になってお気づきになったと思いますが、ほとんどの本が「タイ」と「旅」をテーマにしています。この傾向が顕著になったのはいつ頃からだったんだろうか、と思い返してみました。

現在の旅本の先駆け的な本、『ゴーゴーインド』や、『ゴーゴーアジア』(いずれも凱風社刊)の著者、蔵前仁一さんが主催する『旅行人』という雑誌があります。旅情報、体験談がぎっしり詰まった、バックパッカ−にはお馴染みの雑誌です。
92年頃からだったでしょうか、アジア文庫は『旅行人』がまだ、同人誌といってもいいような体裁の頃から扱っています。小店が扱い始めてからしばらくして、「旅行人」は今のようなカラー表紙に衣替え、その後、急速に売れ行きを伸ばしていきます。最盛期には、月に100部は売れていたと思います。アジア文庫にとっては驚異的な数字でした。
「旅行人」の売上に比例するように、旅に関する本の出版も目だって増えてきました。蔵前仁一、前川健一、下川祐二、日比野宏、小林紀晴、といった今では名の通った著者たちの旅行記が続々と刊行されるようになります。さらに、講談社や徳間書店などの大手出版社から彼らの文庫本も相次いで出版されるようになりました。
この辺の事情、いずれ、もっときちんと個々の本の刊行年などを調べてお伝えしようかと思います。今日は記憶に頼って書いてしまいました。

また、タイについても、日を改めてお伝えします。

2000年9月1日
金曜日

うかうかしてるうちに9月になってしまいました。このHPを作る作業を実際にはじめたのが5月でした。7月の初めにアップロードして、今日までの4ヶ月間は、パソコンの作業中心に生活がまわっていました。あれもやらなくちゃ、これもやらなくちゃ、と思いつつ、やり残したことばかりが山積みになっていきます。

残暑は続いていますが。秋の気配が少しでも感じられるようになってくると、「今年の夏も終わりか」と、やや、こころ残りな思いもあります。
「夏だ!アジアに行こう!アジア文庫創立16周年感謝フェア」は、秋になっても続けます。タイトルが「秋だ!アジアに行こう!・・・・」と変わります。が、内容は変わりません。11月の初旬までだらだらと続けます。

サイト、カウンターはつけていないのですが、アクセスログの解析を見てみると、7月10日の公開以来、昨日までで、2000人を超える方に見ていただいているようです。
先日、最近とみに名を聞くアジアの雑貨屋さんのHPを覗いてみましたら、カウンターの数がなんと、1日で2000人を超えておりました。当方の50倍。同じアジアでも、本と雑貨でこの違い。愕然。
もっとも、敵は、いや、同業の士というべきか、は開設1年。
燃えましたね。めざせ、1日2000アクセス!

2000年8月23日
水曜日

暑い日が続きますが皆様いかがお過ごしでしょうか。アジアの好きな人は、やっぱり夏がいい、という人が多いように思うのですが、どうでしょう。
私も「暑い暑い」といいながら、夏は一番好きな季節です。カッと照りつける太陽、青々とした緑、降りそそぐ蝉の声、真っ青な空、海。みんな好きです。ただ、都会の夏はちょっとつらい。できれば、海か山でたっぷり夏の息吹を浴びたい。私は7月に早々と短い夏休みを取ってしまったので、今月は休まず仕事です。子どもの頃のようにたっぷり夏を楽しみたい。
ただ、先週の朝夕の通勤電車はガラガラで快適でした。

アジア文庫は8月も休まず営業しています。どうぞご利用ください。


2000年8月21日
月曜日

やっとアジア文庫自前のホームページを開くことができました。これまでもアジア文庫のホームページはあったのですが、アジア文庫で直接、運営、管理しているものではありませんでした。以前のHPは、フィリピンのバイリンガル雑誌、『クムスタ』を発行している「クムスタコミュニケーションズ」のご好意で作成、運営をしていただいていました。既にそのページは閉じられています。
ちょっとタイミングが悪かったのですが。先月、刊行された「アジア大バザール」(講談社文庫)と「TOUKYOリトルアジアの歩き方」(新紀元社)という二冊の本に、以前のアジア文庫のURLが紹介されていました。戸惑われた方もいらしゃったのではないかと思います。実際、「つながらないよ」と電話をいただいたこともありました。うまくこのページにたどり着いてくれているといいのですが・・。

ところで、当サイト、運用を開始して一ヶ月ちょっと経ちました。ご覧になっていかがでしたでしょうか。
既に、何人かの方からご意見をいただきました。なかでも、
アジア文庫からの生の声も聞きたい」というメールを思いの外いただいて、このページを作ってみました。アジアの本の出版傾向や売れ行きの動向など、書店現場から気が付いた事を綴っていきたいと思っています。
おそらく、記載期日はかなり気まぐれになると思います。忘れた頃に覗いてみてください。

知り合いの出版社のNさんからメールをいただいて、アジア一般の「社会・文化・教育」の中にダブって掲載されている図書がある、とご指摘を受けました。あわててこの項目をプリントアウトしてみると、確かに10点近く重複して掲載しているタイトルがありました。この分はすぐに訂正しましたが、改めてプリントアウトした用紙を眺めてみると、旅に関する本が随分多いのに気づきました。ここ数年の傾向として、旅に関する本は、よく動くようになってきています。また、出版点数も確実に増加してきています。そのことを改めて実感しました。
という訳で、急遽、
旅の本 にまとめてみました。

また、これまでのご好意に感謝の意を込めて「クムスタコミュニケーションズ」のアドレスをご紹介しておきます。フィリピンに関心のある方はぜひ覗いてみてください。
 
http://www.kumusta.com/

 

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